僕にとっても、競馬ファンの皆さんにとっても、絶対に忘れることのできない一頭、ウオッカが、滞在先のイギリス・ニューマーケットで蹄葉炎のため亡くなりました。まだ15歳……早すぎます。

 僕が彼女と初めてコンビを組んだのは、64年ぶりの快挙となる牝馬として日本ダービーを制した翌年、2008年のドバイデューティフリーでした。あれだけの馬ですから、「一度は乗ってみたい」と考えるのは、騎手としては当然です。性のようなものと言ってもいいでしょう。ただ、乗りたいと思って乗せていただけるような馬ではありません。結果は4着でしたが、ウオッカの強さの片鱗を体験できたことは、騎手冥利に尽きる出来事でした。

 帰国後、僕とコンビを組んだヴィクトリアマイルは2着、毎日王冠も2着……もどかしさだけが残るレースが続きました。そんなムードの中で迎えたのが――天皇賞史上に残る名勝負と呼ばれる、ダイワスカーレットとの一騎打ちです。

 舞台となったのは東京競馬場の芝2000メートル。ウオッカの状態は、これまで乗った中では一番で、管理する角居先生が、「これで勝てなかったら、もうダイワスカーレットには二度と勝てないと思う……」と、マスコミに漏らしたほどの出来でした。

 最後の直線、逃げるダイワスカーレットの外からディープスカイが襲いかかり、僕とウオッカはさらに、その外を急追。残り200メートルで馬体を合わせてからは、力と力、意地と意地、勝利への執念を賭けたレースとなりました。

 どんなに際どく見えるレースでも、ゴール板を駆け抜けた瞬間、乗っている人間は、どっちが勝ったのか、ほぼ分かります。正直、このときは、「悪くても同着かな」と思いました。ダイワスカーレットの手綱を取ったアンカツさん(安藤勝己元騎手)は、「良くて同着かな」と思ったそうです。

 ところが――検量室のホワイトボードに書かれた着順掲示板は、1着がダイワスカーレットの7番。2着がウオッカの14番……10分を超える長い、長い写真判定の間中、僕はただ祈るしかできませんでした。

 結果は1着ウオッカ。2着ダイワスカーレット。その差、わずか2センチの激闘でした。競馬のすごさ、面白さ、奥深さ、激しさ……第138回天皇賞は、ウオッカとダイワスカーレットという名馬2頭が紡ぎだした、あの2頭だからこそできた、競馬の持つ魅力をすべて出し尽くしたレースでした。

 あるときは最高のパートナーとして、あるときは最強のライバルとして眼前に立ち塞がったウオッカは、平成の時代を颯爽と駆け抜けた名馬中の名馬でした。今は静かに冥福を祈るとともに、ウオッカとコンビを組んだ騎手として、これからも、恥ずかしくない競馬をお見せし続けたいと思います。それが、僕からウオッカに捧げる想いのすべてですから。

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