北島三郎
北島三郎

 この約30年間に、本誌のインタビュー記事、対談企画に登場した著名人の中でも、特に大物と言える面々の印象的な言葉をクローズアップした!

■1991年(平成3年)1月21日号「師弟対談 船村徹vs北島三郎」

 昨年末、平成最後のNHK『紅白歌合戦』に、特別枠で5年ぶりに出場した北島三郎は、たびたび本誌に登場していた。1991年(平成3年)には、師である作曲家の船村徹との対談企画。

 サブちゃんにとって、デビューのきっかけになったのが船村への弟子入りだ。だが、その前に、流しの歌手として酔客相手に歌っていた苦労時代がある。「真冬に流しから帰ってきて、風呂に入ろうったって風呂はない。銭湯は終わっている。冷たいフトンの中で、膝小僧を抱えながら、チキショー、いまにみてろ……。ここがオレの始まりでしたね」

 初心を忘れないサブちゃんだった。船村門下に入り、ようやくデビューが決まったが、そのデビュー曲『なみだ船』は歌詞が卑猥だと、なんと放送禁止に。「オレはなんてついてないんだろうと、あのときはさすがにガックリきました」

 サブちゃんは、この対談当時デビュー30年。船村に「40年、50年を目指せ。生きている限りは現役でいろ」と言われると、「はい。師匠のお言葉、肝に銘じておきます」と力強く答えている。

 それから28年もの歳月が流れた。師は一昨年に84歳で永眠。愛弟子は、再来年のデビュー60年に向けて、82歳の今も現役バリバリだ。

■1992年(平成4年)4月27日号「熱唱27年 森進一」

 昭和の時代に、『おふくろさん』『襟裳岬』『冬のリヴィエラ』と、人々の心に残る名曲を残した森進一は、平成の世でも第一線の歌手だった。『紅白』には、2015年(平成27年)限りで勇退するまで途切れずに出場した。

 ただし、不倫騒動、森昌子との離婚など私生活ではトラブルもあった。また、病との闘い、『おふくろさん』の作詞者・川内康範との軋轢など、ネガティブな出来事も多かったが、それはいずれも平成後期の話。

 本誌の独占インタビューに応えてくれたのは、公私ともに絶好調だった1992年(平成4年)のことだ。当時の森は、慈善活動をライフワークとしていた。「自分だけ美衣美食、飽食していていいのだろうか、ということを考えるわけです。人助け、世の中のために、何かやろう、の気構えなんです」

 その生真面目な性格は、ゴルフにも反映される。「ストレス解消につながらないんです。自分の性格がでちゃうのかなあ。やり始めると一生懸命になってしまう」と自己分析する。

 私生活をあまり語りたがらない森だが、我が子についてはうれしそうに話した。「(休日は)1日中、一緒に遊んでクタクタですよ」

 2人の息子は現在、それぞれロックミュージシャンとして活躍中だ。

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