服部半蔵に風間小太郎…日本に実在した「伝説の忍者たち」の画像
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 情報収集、要人暗殺、破壊工作……。あらゆる特殊任務をこなした忍びの者たち。最新の調査で判明した虚構と現実が交錯する“忍者の真実”を一挙公開!!

 今回は日本の歴史を変えた、実在した忍びの者を紹介する。史料から明らかになった正体をあなたはどれだけ知っているか?

■「徳川家を支えた“影の軍団の頭領”」服部半蔵(生没不詳)

 服部家の祖先は伊賀流忍術の開祖とも言われる。「服部半蔵」の名は服部家の当主が代々受け継いだ名前で、初代・服部半蔵保長は、戦国時代末期に将軍家からの要請を受け、将軍足利義晴に仕えた。その後は三河の松平清康(徳川家康の祖父)から「保長と配下の忍者200名余りをそっくり召し抱える」という申し出を受け、松平(後に徳川)家に仕えるようになる。家康の時代になると、徳川家は甲賀からも優れた忍者を召し抱え、保長とその子・正成に委ね、天下取りに暗躍した。

■「荒くれ集団“風魔党”の頭領」風魔小太郎(生没不詳)

 小田原城を拠点とした北条氏に仕えた忍者集団“風魔党”の頭領。もっとも有名なのは、“五代目風魔小太郎”。『北条五代記』によれば、五代目は身長七尺二寸(約2.2m)もある大男で、髭を黒々と生やし、目は逆さまに裂け、口は両脇に裂けて牙が4本出ており、その大声は五十町(約5km)先まで達したという。

 風魔党は山賊、海賊、強盗などの荒くれ者たちの集団だったため、ゲリラ戦法を得意とし合戦でも活躍したという。北条氏滅亡後は盗賊に落ちぶれ、最後は役人に捕まり処刑されたとされる。

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