情報収集、要人暗殺、破壊工作……。あらゆる特殊任務をこなした忍びの者たち。最新の調査で判明した虚構と現実が交錯する“忍者の真実”を一挙公開!!
今回は日本から視野を広げて、世界を騒がせた「伝説のスパイたち」について紹介する。
■「“美しすぎるスパイ”と呼ばれた女」アンナ・チャップマン(1982〜)
KGB幹部だった父親を持つチャップマン(本名はアンナ・クシチェンコ)は、父と同じ道を選んだ。2001年に英国人男性と結婚しチャップマン姓と英国籍を得たが、06年に離婚。離婚後もチャップマンを名乗ったのは、スパイ活動に都合がよかったから。10年から渡米し米国の核兵器に関する情報収集を行なっていたがFBIに逮捕され、「美しすぎるスパイ逮捕」と報じられる。米露間の捕虜交換で釈放され、現在はロシア国内で企業経営を行なっている。
■「“KGBの暗殺マシン”と呼ばれた男」ボグダン・スタシンスキー(1931〜?)
KGBのヒットマンとして活動したスタシンスキーは、ウクライナの民族独立運動家の両親の家庭に育った。この境遇に目を付けたKGBはスタシンスキーを拘束、エージェントに仕立て上げ、1957年以降は暗殺任務を担当させ、反ソ連活動組織の幹部を次々と除去していった。彼が暗殺に用いたのは、猛毒を噴霧する特殊な筒状の銃だった。その功績からモスクワで最高勲章を得るが、結婚を機に密かに祖国を離れ61年に西ドイツに亡命した。
■「西側諸国が恐れた“顔のない男”」マルクス・ヴォルフ(1923〜2006)
1952年に東ドイツで創設された情報機関HVAは、冷戦期に西側諸国の情報機関から恐れられていたが、そのHVAのトップを86年まで務めたのが、ヴォルフだった。ヴォルフは79年に西ドイツの情報機関が顔を特定するまで四半世紀以上も謎の存在だったため、「顔のない男」と呼ばれ、暗殺、破壊工作、買収、ハニートラップとあらゆる謀略の指揮をとっていた。ベルリンの壁崩壊後には、CIAなどから顧問としてのオファーも受けている。
■「“ジェームズ・ボンド”のモデル」シドニー・ライリー(1874〜1925)
『007』の主人公ジェームズ・ボンドには実在のモデルがいる。シリーズの生みの親である作家イアン・フレミングはこう言った。「ボンドもライリーには敵わない」シドニー・ライリーは20 世紀初めの南アフリカ戦争をきっかけに英国情報部に雇われ、日露戦争直前には商人を装い旅順で暗躍。ロシア革命が起こると、ライリーは英首相の密使としてモスクワへ渡り命令を無視して暴走、レーニン暗殺を企てる(未遂)など、暴れまくっている。
今回は“忍者”は日本だけの存在ではないことを紹介した。そして忍者は、今もなお世界のどこかで暗躍しているのかもしれない。
※『EX大衆』2018年9月号より
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