南こうせつ
南こうせつ(撮影・弦巻勝)

 デビューから50年。振り返ると、僕のそばには、「いつも歌があった」んです。2月に出したニューアルバムと書き下ろしエッセイ本のタイトルにつけたように。

 そして、もうひとつ、おめでたいことに、私、南こうせつも、70歳になりました。

ーーおいちゃんは、古希だぞぉ。

 そんな気分です(笑)。夏に予定している野外コンサート「サマーピクニック」に向け、気力、体力のゲージが、徐々に満タンになりつつあります。

 フォークソングというジャンルがほとんどなかった時代に、ギター一本持って、大学ノートに書いた詞をメロディに乗せながら、一生懸命に種を撒き、育ててきましたが、まさか、この年になるまで歌い続けてこられるとは考えてもいませんでした。

『神田川』がヒットして、オリコンの1位になったときも、「そんなはずはない」「これは嘘だよね」と、パンダさん(山田パンダ)、正やん(伊勢正三)と、ミーティングのたびに確認しあって。どこのホールに行っても、チケットは完売で、大きな拍手をもらっていたのに、「勘違いだけはしないようにしようね」って、話し合っていましたから。もっとも、今、考えると、それでも当時は、どこか浮き足立っていたような気もしますが(苦笑)。

 30歳を過ぎて、子どもができ、家庭生活をしていく中で、このままでいいんだろうかと考えたり、もし、人が来なくなったらどうしようかと悩んだり、いっそ、カフェでもやろうかと、突拍子もないことを思ったりもしました。

 “四畳半フォーク”というレッテルを貼られ、自分たちの知らないところで、どんどん、物事が進んでいくことに嫌気が差し、進むことも戻ることもできなくなって、かぐや姫を解散せざるをえなくなったことへの反発もあったと思います。

「おいちゃんは、『神田川』で食ってんじゃない。元気な歌も好きなんだ」と、30代の一時期、『神田川』を封印していたこともありました。ポール・マッカートニーも、『イエ
スタディ』を歌わなかった時期があるそうですし。

 それでも、この年になって思うのは、『神田川』があって良かったということです。僕の代表曲が『神田川』で良かった。いろんな意味で『神田川』は、南こうせつそのものであり、あれが僕なんです。

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