■長嶋茂雄“巨人軍終身名誉監督”も期待

 そんな上原がプロ入りしたのは1998年。巨人を逆指名しての入団だった。だが当初、巨人には上原獲得の予定はなかったという。「巨人の編成部長が、当時世界最強といわれたキューバ代表との試合を視察した際、日本代表でものすごい投球をしたピッチャーがいた。それが上原でした。この投手は絶対獲らなくてはいけないと、そこから急遽、方針を変更したんです」(ベテラン記者)

 上原をめぐっては、すでに日米で激しい争奪戦が勃発していた。大きく出遅れた巨人の逆転は難しいと思われた。そこで動いたのが、当時の監督、長嶋茂雄巨人軍終身名誉監督だった。「ミスターは甲子園での阪神戦が終わった後、宿舎でスーツに着替え、タクシーを飛ばして上原の自宅へと向かった。ナイター後ですから、到着は深夜。まさかの訪問に、上原や両親は驚き、感激したそうです。結果、これが決め手になりました」(前同)

 惚れ込んだ逸材を説得するための直接出馬。形勢は180度変わり、巨人・上原が誕生することになる。「上原は1年目から20勝。新人王はもちろん、投手タイトルを独占し、一気に巨人の絶対的エースになりました」(前出の番記者)

 そして現在、ポスト原の有力候補となった上原。引退会見では、自身の今後について“何も考えていない”と語る一方、“プロ(の選手)に教えることはない”とも口にしていた。

「本人に、巨人で指導者となる気持ちがあるのかは、まだ分かりません。ただ、原監督は上原のことを高く評価していますし、ミスターも“後輩たちに教えることは、いっぱいある。どんどん伝えていってほしい”と、引退後の上原に期待を寄せていた。外堀から埋まることも十分ありえますよ」(球界関係者)

 “雑草魂”の上原が監督として見られる日も遠くない。

あわせて読む:
・加藤綾子、志村けんから公開プロポーズ!? 令和の女子アナ「麗しきプライベート」
・水卜麻美アナ社内昇進! 金だけじゃない日テレ「必死の引き留め工作」
・有吉弘行爆笑! はなわの歌でイジられた元木大介に同情の声「触れてあげるな」

  1. 1
  2. 2