美空ひばり「不死鳥お嬢伝説」離婚、酒、抜群の歌唱力…いま明かされる新事実!の画像
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 不世出の大歌手・美空ひばりがこの世を去ったのは、元号が昭和から平成に変わった直後、1989年(平成元年)6月24日のこと。没後30年となる歌姫にまつわる秘話を公開! (文中一部=敬称略)

 ひばりの私生活といえば、小林旭との結婚・離婚が知られている。だが、その少女時代には、初恋とも言える意中の人物がいた。「ひばりの相手役としてスカウトされて、歌舞伎界から映画界へやって来た中村錦之助(のちの萬屋錦之介)です。共演が多かった2人は、私生活でも相思相愛の関係だったといわれます」(映画関係者)

 ひばりは錦之助を“錦兄”と呼び、兄のように慕っていた。「ただし、当時のひばりは10代で、常にステージママである喜美枝さんがついていた。実際、どの程度のつきあいだったか、正確には分かりません」(前同)

 結局、結婚という形で結ばれることはなかった。「ただ、錦ちゃんは、ひばりの晩年に病床をたびたび見舞ったといいます。2人には男女の色恋を超えた、精神的な結びつきがあったのかもしれません」(同)

 また、彼女には婚約破棄の経験もある。それは、20歳になる直前の1956年(昭和31年)のこと。相手はビッグバンド「小野満とスイング・ビーバーズ」のバンマスである小野満だ。「8歳年上の小野さんは、“大スターのひばりさんを家に縛りつけることはできない”と考え、結局、結婚を諦めたといいます」(レコード会社関係者)

 小林旭との交際はそれから約6年後、雑誌『明星』での対談がきっかけだ。『美空ひばり公式完全データブック』(角川書店)の編纂者で、『美空ひばり最後の真実』(さくら舎)の著者でもある現フリーライターの西川昭幸氏は語る。「小林さんは同じ日活の浅丘ルリ子さんと同棲していましたが、浅丘さんの父親の反対で、結婚が流れた。そんなタイミングでした」

 結婚については、ひばりのほうが積極的だった。これは、「三人娘」として同時期に活躍した江利チエミが高倉健と、雪村いづみが外国人と結婚し、独身は自分だけとなったことも影響していたようだ。「小林さんが居場所を知らせていないにもかかわらず、滞在先や一見で入ったクラブにまで、ひばりさんから“ダーリン”と電話がかかってきたとか」(前同)

 だが、スター同士の結婚は、うまくいかなかった。わずか2年で破局。離婚時は20代後半だったひばりに以後、新しい恋の噂は聞かれなかった。「大物すぎて、誰も恋愛対象として見られなかったのでは」(スポーツ紙記者)

 それはビッグスターの宿命だ。寂しさを埋めるためか、酒に依存しがちになり、頻繁に自宅に人を招いた。「中村メイコさんのほかに、小林旭さんをめぐる因縁もある浅丘ルリ子さんとも親しかったですね」(前同)

 江利チエミ、雪村いづみとの友情もあった。本誌連載『満天の夢』でもおなじみ、伝説のナイトクラブ「ニューラテンクォーター」の経営者・山本信太郎氏は振り返る。「あるとき、ひばりさんが店に来てくれたことがあったんです。その日は雪村いづみさんのショーが予定されていたんですね」

 旧友への表敬訪問は、アポなしだったようだ。「ところが、雪村さんは体調が悪く、ショーを早めに切り上げ、すでに帰宅していたんです。ひばりさんは残念がりながらも、急遽ステージで歌ってくれることになりまして」(前同)

 選曲が粋だった。自分の曲ではなく、江利チエミの『テネシーワルツ』や、ジャズのスタンダード曲を数曲チョイスしたのだ。雪村いづみの代わりに、美空ひばりが、江利チエミの曲を歌う……。その晩、たまたまニューラテンクォーターに足を運んだ幸運な客のみが堪能できた至高のステージだった。「クラブ経営者冥利に尽きる体験でした」(同)

 また、ひばりは石原裕次郎王貞治ら昭和の大物スターとの交友もあった。山本氏によれば、勝新太郎も彼女をかわいがり、その歌を愛したという。「僕が、お店の30周年公演に誰に出てもらおうかと考えていたときに、勝さんに相談したら、答えは“兄弟、そりゃ、ひばりちゃん以外にいないよ”でした。それで僕も、実現に向けて準備を進めたんですが……」

 1987年(昭和62年)4月、ひばりは極度の体調悪化を訴えて入院。プランは幻に終わった。

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