■最初の雑誌の表紙は週刊大衆
――その後、多くのドラマや映画で活躍されますが、1980年に公開され、カンヌでも好評だった映画『純』は当時、話題になりましたね。
朝加 あの頃は全部が中途半端な気がしていたんですよ。仕事がうまくいかなくて「なんで私は北海道から出てきたんだっけ? ダメだったら帰るの?」って自問自答していたところがあって。そこで何かにチャレンジすることを自分に言い聞かせたんだと思いますよ。
――いわゆるターニング・ポイントだったんですね。
朝加 そうですね、きっと。
――その後、2冊の写真集を出されましたね。
朝加 1冊目がカメラマンの沢渡朔さんと組みました。写真集の仕事の前にグラビアの仕事で撮ってもらったことがあって、すごく楽しかったんですよ。また沢渡さんがあまりしゃべらない方で、そこが男性として魅力的で、沢渡さんとならやってもいいってことだったんです。フランスのノルマンディで2週間ぐらいかけて撮ったんですよ。いい撮影ができました。
――2冊めは映画『続エマニエル夫人』の監督を務めたフランシス・ジャコベティさんが撮ったんでしたね。
朝加 沢渡さんとは全然違いましたね。沢渡さんは自然光で人間を素にしていく……って感じでしたが、ジャコベティさんはメイクや光もきれいに作っていく、って感じでしたね。写真集の仕事はやっていて楽しかったですね。ただ、大変だったのは雑誌のグラビアの仕事で、グァムとかに行っても日帰りや一泊二日というスケジュール。いやというかつらかったですね (笑)。あ、思い出したのですが、雑誌の表紙のお仕事で一番最初は「大衆」さんだったと思いますよ! 私の記憶違いかもしれないけど。