桑田佳祐はドリフターズだったかもしれない!? サザンオールスターズ「夏の豪快伝説」の画像
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 夏本番――サザンオールスターズを聴きたくなる季節がやって来た。昨年発売した40周年記念アルバム『海のOh!  YEAH』も好評で、6月16日に東京ドームで打ち上げたツアーも連日完売御礼。結成40周年を超えて、今なお絶大な人気を集めるサザンの原動力は、もちろん、ボーカルの桑田佳祐(63)だ。芸能レポーターの石川敏男氏が言う。「よく聴くと、声もそれほど良くないし、歌だってそんなにうまいわけじゃない。だけど、老若男女をひきつける魅力的な音楽を作るよね。“ひとり紅白”をやったりする企画力も抜群。ファンを大切にする姿勢が受けているんだと思う」

 そんな桑田には、知られざる数々の伝説がある。「桑田さんが最初に組んだバンドの名前が、“温泉あんまももひきバンド”。名前からして、もうコミックバンドのノリですよね。デビュー直後のサザンも、テレビ番組でコントやお笑いをやったりしていましたが、それが、いかりや長介さんに認められ、ザ・ドリフターズに誘われたという逸話があります」(芸能記者)

 もしかしたら、桑田はドリフターズのメンバーになっていた?

 ファンを大切にする桑田ならではのエピソードも。「メンバーの原由子との披露宴には、3000人のファンを招待。タモリら芸能人が数多く駆けつける中、全員で『いとしのエリー』を熱唱したんです。ファンにとっては、一生の思い出ですよね」(前同)

 長らく放送禁止にされていた美輪明宏の名曲の封印を解いたのも、桑田。「桑田は、かつて自らがホストを務めていたフジテレビの音楽バラエティ『桑田佳祐の音楽寅さん〜MUSIC  TIGER〜』で、『ヨイトマケの唄』を歌い、民放連が事実上“放送禁止”にしていたこの曲に光を当てました。これをきっかけに槇原敬之、米良美一などが歌い始め、2012年の大みそか、美輪本人が紅白で歌うことにつながったんです」(テレビ局関係者)

 情に厚い一面もあり、病床の吉田拓郎を励ますために、『吉田拓郎の唄』をライブで披露したこともあった。「『唄えぬお前に誰が酔う』だとか『フォークソングのカス』とか、敬愛するからこそキツめのジョークを散りばめたこの曲はもともと、引退宣言をしていた拓郎に向けたもので、1985年に発表された曲でした。2003年にガンに冒された拓郎を励ますため、サザンのライブで同曲の披露を決意した桑田は、歌詞を変え、吉田へのエールとして歌ったんです」(前同)

 年末に公開される22年ぶり50作目となる『男はつらいよ  お帰り  寅さん』では、主題歌を熱唱。映画への出演も果たすなど、快進撃は止まらない。

 63歳になっても、“生涯現役”でいられる秘訣は、「サービス精神を持ち続けているから」(同)のようだ。

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