大野智(嵐)
大野智(嵐)

 ジャニーズ事務所のジャニー喜多川氏が、くも膜下出血のため7月9日に87歳で亡くなった。生前、男性アイドルの育成に類いまれなる手腕を見せていたジャニー氏。彼の目に人気タレントたちはどう映っていたのか。

 大野智は、嵐としてデビューする前、16歳から18歳にかけて、京都劇場で催されたミュージカル『Kyoto To Kyoto』に出演していた。大野はダンスが抜群にうまかったため、東京から派遣され、京都市内に泊まり込みで、多いときは1日5公演の舞台をやり遂げた。

 公演の千秋楽を迎えた大野は、やりきったという充足感から、ジャニーズ事務所を辞めようと決意。すぐにジャニー氏に「辞めます」と電話で伝えたという。すると「YOU、とりあえず来ちゃいな」と呼びつけられ、「レコーディングを手伝ってくれ」と言われた大野。このとき渡された楽曲が、後に嵐のデビューシングルとなる『A・RA・SHI』だった。そこで「来週ハワイに行くから」と言われたという。それが嵐のデビュー発表記者会見だと大野が知ったのは、現地に行ってからだった。

 そもそも大野はオーディションの段階で、「YOU、なにやってんの? 前にきて踊っちゃって」「いいねぇ」とジャニー氏から目をかけられていたという。ジャニー氏が才能を見抜く力に長けていたことを証明するエピソードといえるだろう。

 同じく嵐の相葉雅紀も、ハワイでの記者会見が開かれるわずか3日前に、突然「YOU、パスポート持ってる?」とジャニー氏から聞かれた。相葉が「持ってるよ」と答えたことでハワイ行きが決定したという。嵐の松本潤は、特待生の扱いでジャニーズに入所した。小学生のとき、自分で履歴書を書いて送った松本は、ジャニー氏から突然、「今、レッスンやってるから来ちゃいなよ」と電話で呼び出されたという。

 大野、相葉、松本、嵐の3人は、ジャニー氏の鶴の一声でまさに人生が変わった。

 また、TOKIO城島茂のデビューも少し変わっている。城島は、自分の環境を変えたくて、自ら事務所に履歴書を送った。後日、ジャニー氏が仕事で関西を訪れた際、自ら城島をホテルに呼び出し、面接がてらお茶を飲んだという。そのときの城島の素朴な雰囲気を魅力的に感じ、その場で採用が決まったという。

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