■プロレスのレジェンドにフォール勝ち

――いつでも、悠然としていたんですね。天龍さんはそんな馬場さんから、1989年11月に札幌でフォール勝ちしました。

天龍  重たくて、なかなか持ち上がらないんだけど、「これでも喰らえ」と、パワーボムを決めて。「返してくるだろうな」と思ったけど、そのままフォール勝ちしたんです。でも、「馬場さん、返せたんじゃないですか?」と戸惑いました。自分の会社のトップに勝つということは、“何かを押しつけられた気持ち”になるんですよ。「お前、分かってるんだろうな」と、すべてを任された感覚になって重荷に感じましたね。

藤波  僕が猪木さんからフォール勝ちしたときも、同じ気持ちでしたね。野球や相撲ならトップに立てることはうれしいと思いますが、僕は素直に喜べなかった。また、フォール勝ちしたときに猪木さんがニヤリと笑ったんですよね……。

天龍  育ててもらった恩があるから、「勝った負けた」じゃ超えられないものがあるんですよ。僕も藤波さんも「馬場」「猪木」と呼び捨てにしないでしょ。それがすべてを物語ってますよ。

――逆に、天龍さんから見た猪木さんの印象を教えてください。

天龍  馬場さんは「世界のジャイアント馬場」という自身のイメージがあるから、誰が来ても葉巻を吸って、「おう」と挨拶していたんです。だけど、猪木さんは愛想よく接してくれるから、感激したプロモーターも多かったと聞いてます。選手にもフレンドリーで、みんなと“どんちゃん騒ぎ”していたと聞いて羨ましかったですよ。馬場さんは他の選手とビシッと一線を引いてましたから。

藤波  地方巡業で旅館に泊まってると、食後によく、猪木さんが昔話をしてくれたんです。その時間が心地いいんですよ。

――94年1月4日、天龍さんは猪木さんにもフォール勝ちしました。

天龍  猪木さんは、もう引退が近いと思っていたんですが、いざリングに上がったらビシッと体を作っていたので、僕も一気に目が覚めました。試合中、ロープをつかんだとき、猪木さんから指を折り曲げられて脱臼したんですよ。指が変な方向に曲がっちゃって(笑)。自分で戻したんですけど、猪木さんの「ナメんなよ」というメッセージだったんだと。

藤波  猪木さんは、どんな状態でもコンディションを整えてきますよね。横浜文化体育館で、最後のシングルをやったとき(88年8月8日)も、そう。44歳になってもスタミナが落ちてない猪木さんの恐ろしさを知りました。そのうち心地よさを感じて、結果的に時間切れ引き分けでしたが、「60分も猪木さんを独り占めできたんだ」と満足感がありましたね。

天龍  あの試合は、素晴らしかったですよ。

藤波  さっきの脱臼の話じゃないけど、確かに猪木さんは“鬼のような一面”を見せることがありましたね。ロープブレイクして一息つこうとした瞬間に、スリーパーで絞められて落とされたことがあります。

天龍  同じです。細い腕が伸びてきて「スリーパーがくるけど大丈夫だろう」と油断していたら、落とされましたよ。人の技をすべて受けたうえで勝つという馬場さんと違って、猪木さんは隙があったら勝とうというスタイルでしたね。

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