ナンバーガール・向井秀徳の人間力「音楽というツールで自分の脳内風景をドキュメンタリーしたい」の画像
向井秀徳(撮影・弦巻勝)

 音楽との出会いは、小学4〜5年生の頃。8歳年上の兄貴から、洋楽を教えられたのがきっかけでした。

 まだ、アニメの歌くらいしか興味なかったときに、クラスの友人たちが聴かない音楽に触れたわけです。“俺だけが知っている”みたいな優越感はありましたね。兄貴から洋楽を聴かされるうち、だんだん自分の好みも出てきて、日本のロックなんかも聴き始めて。そして、ギターを弾いてみたいと思うようになって、それで中2のとき、お年玉でギターを買いました。でも、教則本を見ながら練習してみたんですけど、全然思うようにならず、お勉強みたいで退屈してしまったんです。

 だから、自分でコードを組み合わせて、曲みたいなものを作り始めるようになったんですね。コードも、教則本の通りに押さえても、いいように鳴らないから、勝手に自分で簡単なものに変えて弾いていました。“君がどうの”とか、よくある言葉の歌詞を乗せたりしてね。全部何かのマネというか借り物でしたけど、その頃は曲っぽい形になることがうれしかったですね。

 “ギターは難しいからヤメた”ってなっていたら、きっと音楽はそこで終わっていました。努力するよりも、自分が楽なほうに行く。結果的に、これが良かったですね。ギターキッズにも、“ギターを弾くなら楽をしろ”と言いたい(笑)。

 ただ、曲を作ったり、ギターを弾いたりするのは好きだったんですけど、ミュージシャンになりたいとはまったく思いませんでしたね。自分はかなり夢見がちな“ドリーマー”ではありますが、そこだけは変に現実的で。音楽なんて職業にできるわけがないと思っていたんでしょうね。

 その後、大学受験に失敗して、佐賀の実家でダラダラした毎日を過ごすようになります。たまに日雇いのアルバイトに出かけるくらいで、今でいう引きこもりの予備軍みたいな感じ。その頃は、ギターもあまり弾かなくなっていました。

 そして18歳のとき、繁華街にある音楽バーでアルバイトを始めました。そこで1歳年上の女性が働いていまして、その人に、私は惚れるんですね。ニューヨーク帰りで、気が強い子でしたが、告白したら完全に玉砕。人生で初めて「失恋」というものを経験しました。

 この、どうしようもない気持ちをどうにかしたい。それで、あんまり弾いてなかったギターをまた手に取って、曲を作り始めるんですね。切ないブロークンハートを曲にすると、すごく手ごたえがあって、気持ちを吐き出せた。音楽というのは自分の気持ちを投射できるんだと、このとき初めて知りました。

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