■クラブのお姉さんたちに言われて

――そんな壮絶な経験をされてから上京されたと。

八代 東京・目黒に従兄弟夫婦が住んでいて、16歳の頃に、そこでお世話になりながら音楽学校に通うことになったんですね。でも、仕送りがなかったので、学費を工面するために“美人喫茶”で歌って、お金を稼いでいたんです。

――苦労されたんですね。ところで美人喫茶って、どんな店なんですか?

八代 お姉さんがキレイな喫茶店(笑)。そこで歌い手を募集していて。あの頃、普通の喫茶店だとコーヒー1杯80円だったけど、美人喫茶は600円。

――失礼ですが、それってボッタクリじゃあ……(笑)。

八代 いやいや。キレイなお姉さんがいるんですから、それぐらいはしょうがないですよ。で、そこで働きながら音楽学校に通っているときにスカウトされて、グループサウンズのボーカルをやらせてもらったんです。そのときにレコードをリリースする話があったんですけど、費用が200万円かかるって言われてね。

――それって当時だと、かなり高額ですよね?

八代 そう、だから、そのときはお金もなかったし、そこまでしてレコードを出す気にはならなくて断ったの。その後、銀座のクラブからお誘いを受けてね。ギャラも月給で20万円って言われて。当時のサラリーマンの平均月給が8000円~1万円の時代にですよ。

――とんでもない世界ですね、さすがは銀座です。

八代 ね、私も東京ってすごいなって驚きましたね。

――その後、本格的にプロとしてデビューされました。

八代 さっきも話したけど、デビューするのにお金がかかるって聞いていたからずっと断っていたんですよ。でも、あるときクラブに務めるお姉さんたちに言われたんです。「世の中には亜紀ちゃんの歌を聴きたくても聴けないかわいそうな女性が全国にたくさんいて、彼女たちにも亜紀ちゃんが歌う“女心”を伝えるためにもレコードを出すべきよ」って。そう言われて、正直、冷やかし半分でレコード会社へ行ったら、ピアノの前でディレクターさんたちが待っていらっしゃったの。

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