スーパーの冷凍ケースの中で隣り合う「400グラム入りの枝豆」と「300グラム入りの茶豆」に心がかき乱される。

 なぜ微妙に、袋の大きさを変えてくるのか。私を試しているのか。一般的に茶豆のほうが高級だが、美味しすぎてたくさん食べると胸焼けがする、というほどではない。どちらも鞘に入った、塩味の茹で豆である。だが「300グラム入りの茶豆」が存在するせいで「400グラム入りの枝豆」を買う人は、小さいつづらではなく大きいつづらを選んだ、価値のわからない婆さんみたいに思えてしまうのだ。

 もちろん雀が土産にくれるのではなく、自分でお金を払うのだが、これは値段の問題ではない。そもそも冷凍の茶豆と枝豆の値段が、どれくらい違うのが妥当なのかもわからない。しかし茶豆が嫌いなわけではない以上、大袋の枝豆を無邪気に選ぶのは躊躇われ、結局1袋ずつカゴに入れてしまうのだ。おかげで冷凍庫はパンパンである。

 先日、友人と広島を訪れた際、牡蠣料理の店へ行き、生牡蠣や焼き牡蠣、牡蠣グラタンなどを堪能した。最後にやっぱり牡蠣フライもいっときましょう、ということになり、3人だったので3個オーダーした。運ばれた横長の皿には、ゆったりと感覚を空けて転がる、衣をまとった……浅蜊? これは浅蜊? しかし「おい牡蠣が浅蜊みたいに小せぇぞ!」と口火を切る勇気がない。新井さんって、大きさでしか物事を判断できない人なのね、とは思われたくはないのだ。箸で摘まんで口に入れたそれが、もう美味しいのかどうかもわからない。

 帰京して数日後、どうしても納得がいかない私は、地元の食堂で牡蠣フライを頼んだ。するとやはり小さいのだ。浅蜊よりは大きいが、蛤くらいのサイズである。牡蠣フライってこんなもん?

 正月の福袋も、大きいのを選べば、全然いらないフリースだったりする。映えるジャンボパフェが、美味しかった試しもない。牡蠣フライの牡蠣が座布団みたいに大きくても、途中で飽きてしまうのかもしれない。

 だが「思ったより大きい」ってしあわせなのだ。まだ子供だったころ、大人用サイズの食べ物を与えられると、大きくて、食べても食べてもなくならなくて、そういうしあわせなイメージが焼き付いている。ポテトチップスの袋も、コーンに乗ったソフトクリームも、自分の顔より大きいと、まわりの大人たちが笑ってくれた。牡蠣フライがいつも小さく感じるのは、自分の身体が大きくなったことを、また自覚できていないだけなのかもしれない。

 今度また、小さな牡蠣フライが運ばれてきたら、無邪気にびゃーっと泣いてみようかと思う。

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