乃木坂46
※画像は乃木坂46のシングル『夜明けまで強がらなくてもいい』(通常盤)より

乃木坂46「個人PVという実験場」

第1回 「演じる者」としての乃木坂46 3/4

 乃木坂46というアイドルグループを特徴づけるもののひとつとして、シングルリリース時に制作される「個人PV」がある。現在既に数百の作品があり、今も増え続ける個人PVは、グループにどのような豊饒さをもたらしているのか。MdNムック『乃木坂46 映像の世界』で個人PV全作品解説を担当したライターの香月孝史による、個人PVに焦点を当てた連載がスタート。

■「公式ライバル」という看板

 やがて膨大な作品群を生み出し、乃木坂46独自の文化として発展してゆく個人PVだが、この企画が始まった当初、その手つきは今日よりもずっとぎこちないものだった。それは何より、乃木坂46というグループ自体がまだオリジナルのブランドを確立していなかったためである。

 よく知られるように、乃木坂46は「AKB48の公式ライバル」をコンセプトに出発したグループである。乃木坂46が結成された2011年夏、AKB48はシングル発売初日に100万枚の売上を達成する巨大グループとして社会を席巻していた。女性アイドルシーンの絶対的な「体制」であるAKB48の対抗馬に指名されることは、ある意味でこのうえなく恵まれたスタートだった。

 けれどもそれは、グループの存在意義があくまでAKB48という他者に依存するような、いくぶん厄介な境遇ともいえる。さらにいえば、乃木坂46が構想された時点ですでに、SKE48やNMB48といったAKB48の姉妹グループが各地域を背負って活動していた。AKB48に対抗する派生グループが複数活躍するなかにあって、「ライバル」という見立てはそれほどフレッシュに映ったわけではない。

■初めてのミュージックビデオ

 まだ自らのカラーを持たない乃木坂46のCDデビューにあたって重要な鍵を握ったのは、すでに長いキャリアを誇るクリエイターたちだった。デビューシングル表題曲『ぐるぐるカーテン』(2012年)ではMVの監督を1960年代から活動する写真家の操上和美が務め、楽曲の振付は南流石が担当した。

https://www.youtube.com/watch?v=Ypx_A6No600

 長年にわたって国内外の著名人を撮り続けてきた操上が手がけるこのMVは、モノクロームの教室風景やフルバージョンのラストカットに映る生駒里奈の表情が鮮烈な印象を残す。また、いくつもの時代を超えてきた大御所の手腕とネームバリューに導かれて、ほとんど何者でもない彼女たちが輪郭を与えられていくようなこのバランスは、近年の乃木坂46においてもはや見ることはない。

 あるいは、『ぐるぐるカーテン』のカップリング曲『会いたかったかもしれない』のMVを手がけたのは、今日では『HiGH&LOW』シリーズなどの監督として知られる久保茂昭だが、この楽曲は何よりもAKB48のメジャーデビューシングル表題曲『会いたかった』を踏襲したものだ。

 オリジナルの『会いたかった』をマイナー調にアレンジし、「会いたかった」と同一の歌詞を用いたこの曲のMVは、大半のカット割りやメンバーの配置もAKB48版をコピーするように制作されている。公式ライバルというよりも初期AKB48の影法師のようなこの作品は、曲調と相まってかすかな不穏さをも漂わせる。

https://www.youtube.com/watch?v=28LbqFFJVGk

 デビュー当初の乃木坂46の顔となったこれらの作品は、かたやまだ何も持たない彼女たちが大ベテランのクリエイターの力を借りて最初の一歩を踏み出すものであり、かたやアイドルシーンの中核をなすAKB48が仕掛けた文脈を大前提としたものである。いずれも、乃木坂46ではない他者の名前が作品に大きく刻印されている。

 この連載でやがて見ていくように、乃木坂46はキャリアを経るにつれて、自らの内側から豊かな映像文化を生み出してゆく。他者のコンテクストを借用しながらグループの進路を模索するデビュー期の作品群は、まだそうした自前のカルチャーを確立する前夜の姿を記録するものだ。

乃木坂46「個人PVという実験場」

あわせて読む:
・乃木坂46梅澤美波がVRアート作品で芸術家としての才能を発揮!