水谷豊
水谷豊

 かつて本誌に掲載された、有名人たちの今では考えられぬ発言、大胆コメントを一挙紹介!

 1958年創刊の『週刊大衆』。62年の歴史の中には、数多くの大物たちが登場している(一部敬称略)。先日、他界した400勝投手・金田正一は、東京五輪開催直前の1964年9月3日号で、本誌の取材に応じてくれた。当時はプロ入り15年目で国鉄スワローズ在籍。まだシーズン中だが、すでに14年連続20勝以上という大記録を達成していたカネやんは、若い選手に厳しい。「だいたい、みんな甘すぎる。プロちゅうもんは厳しいもんや。ちょっと名前が出たり、人気者になると、天狗になってしもうて……。若いから無理ない、いうて甘やかしたらあかん」

 “生まれ変わったら、どうするか?”という問いにはこう答えた。「やっぱり野球選手になるワ。また昔のような速い球、ビシビシ投げてみたいな。それから、今、外人がたくさん来とるが、わしはアメリカに稼ぎに行ったる」

 来世でのメジャー挑戦を表明していた。それにしても、これらはまるでアラフォーのベテラン選手のような物言いだが、この時点のカネやんは、なんと、まだ31歳。「今なら、ヤンキースの田中将大、ドジャースの前田健太と同じ年齢。その時点でメジャーに行っても通用したでしょう。しかし、実際には、同年オフにジャイアンツに移籍しています」(スポーツ紙記者)

 カネやんが移籍した頃のジャイアンツはV9前夜だが、ON時代は始まっていた。そして、64年1月9・16日号に長嶋茂雄が降臨。「当時、ミスターはまだ独身。“誰と結婚するのか?”は国民的関心事だったので、マスコミはこぞって、暴走気味の熱愛報道を連発していました」(前同)

 このときは、清純派女優の司葉子との結婚が報じられたばかりだった。「ボクはそれまで司さんと会ったこともないんですよ。ひどいもんだ。もっとも、あんな美人とウワサを立てられたっていうんで、あの日は楽しかったですね」

 27歳のミスターは、否定しつつも満更でもない様子。そして、現実的に自身の恋愛、結婚については、顔を赤らめてこう語った。「どうもボクは恋愛なんてできないですよ。ガラじゃあないんだな。でも、結婚するとしたら見合いから結婚――やっぱり、そのコースがいいんじゃないかな」

 そんな純情なミスターが、この年に行われた東京五輪のコンパニオンを務めた女性に猛アタックをかけ、スピード婚に持ち込んだのは有名な話である。

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