パチンコ氷河期の12月でも勝てる台【ギャンブルライター・浜田正則コラム】の画像
(イラスト/玉三郎)

 今年の12月は微妙です。ホール的にはかなり甘めの営業をするはずなのですが、肝心の台そのものがベースを抑えているために噴いてくれないのです。なので、お店ではパチンコはブン回るクギだし、スロットは高設定確定を示唆する演出が出まくるでしょうけれど、実入りの厳しい勝負となりそうです。というわけで、ガッツリ打つほどコスパに見合わない勝負となるのは必至。まあ、忘年会などの時間調整に遊ぶなど、ほどほどにしましょう。

■氷河期は茶飯事

 ちなみに今、パチンコは氷河期と言われてます。

 実際、「先の見通しが立たない」「明るい未来が見えない」なんていうホールの泣き言は後を絶たず、年明けの計画閉店は実に全体の33%となるのでは……などという予想が、まことしやかに出ております。この数字はオーバーとしても、年内に消える爆烈5号機の完全撤去まで営業して、あとは撤退! みたいな店はマジであるでしょう。

 こうした過度期が来るたんびに、氷河期なんて言われますけれど、そもそも1台何十万也の新台が、のべ何十万何百万台も毎週定期的に入れ替えられてきたパチンコパチスロ業界は、自動車業界よりもパソコン業界よりもスマホ業界よりもピッチが速く、ちょっと失速したからって斜陽とか氷河期とかじゃなく、業界全体が無為徒食にこんだけイキってりゃ、失速もしますって。

■ちなみに過去の“氷河期”はこんな感じ

 だいたい、このパチンコ氷河期という表現が、そもそも危機的状態かと言われたら、私は首を横にブンブン振ります。つーのも、氷河期が多いんですよ、パチンコパチスロ業界って。私が知ってる中の、今パッと思い浮かんだだけでも……この2つが思い出深いなぁ……。そんな2点とは以下になります。

●換金禁止(1989年) 東京·板橋区成増のパチンコ店5軒が警視庁の捜索を受け、同地区の各ホールでは「換金の禁止措置」が取られ、実際に換金ができなくなる

 このころは、貯玉システムもまったくない時代ですから、勝っても全部景品にしなけりゃならず、パチンコを打つ者が同地区から完全に消えました。私は一応、見物目的で成増まで行って打ってきたんですが、金に換えられないんだもの、打つ人なんているわきゃない。まるでお通夜でしたね。

 この現象が全国に拡散したら一巻の終わりと騒がれましたが、結局は摘発を受けた成増地区の組合が、風営法に抵触しない換金システムに変えるべく、「景品問屋が、値段分の価値がある地金景品を取り扱う」→「玉・コインを同価値の地金景品に交換」→「買い取り店が貴金属として下取り」という「三店方式」をスタートし、換金禁止も解除。平成2年(1990年)10月にはTUC(東京ユニオンサーキュレーション)を設立し都内の換金は全て3点方式に。そしていまや全国のホールが、この金地金買い取りシステムを導入しています。

●5回リミッター規制(1996年) CR花満開、大工の源さん、黄門ちゃま、バトルヒーロー等の2回ループタイプが主流の時代に、「連チャンは5回まで」という規制が入る

 この通達後に登場した、「CRがきデカ3』『CR海物語S5」などは、「5リミッター機」と呼ばれ、5連チャン目には強制的に通常当たりになりました。この改悪によって全国のホールから客飛び現象が起きて、その後、規制緩和が入った末に爆裂パチンコ機がホールを席捲しました。

 とまあ、こんな感じで、キツイ締め付けの後は、決まって規制緩和と改善がなされています。つーことで、我々ファンは、負けたら行くのを控えて、勝てるようになったら出動回数を増やしてりゃいいと思いますよ。

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