「塀のない刑務所」誰も知らない“天国と地獄”の画像
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 編集部に届いた一大激白文。そこに書かれていたのは、元受刑者が語る想像を絶する生活の真実だった――。 本誌編集部に「塀のない刑務所」として知られる松山刑務所大井造船作業場(以下、大井=愛媛県今治市)に、かつて服役したというA氏から激白手記が届いたのは1か月ほど前のこと。“大井”と聞けば、同作業場で服役していた平尾龍麿受刑者(当時27)が、仮釈放まで残り半年ほどと見られていた中で脱走した事件を思い出す人も多いだろう。泳いで渡った本州の広島市内で逮捕されるまで、23日間も逃亡を続け、この事件はマスコミでも大きく取り上げられた。

 本誌では手記を書いたA氏に直接取材も行った。以下は、A氏が体験した、大井の“真実”だ。現在50代のA氏は窃盗関係の罪で懲役6年の実刑判決を受け、別の刑務所で1年半服役したのち、本人の希望で大井へ。2年半で仮釈放となり、現在は社会復帰している。A氏はなぜ、大井を希望したのか? それは「塀のない刑務所」(専門用語は「開放型施設」)は一般刑務所より自由で楽と思い希望した、わけではない。実際は逆で、とにかく大井は厳しいと聞かされていた。しかし、仮釈放を早く取れると聞いて、1日でも早く社会復帰できるならと、大井を希望したという。激白文の中にも、こう記している(以下、〈〉内は手記からの抜粋)。〈何度か面談して内定を頂いた後も、『大井はとんでもなく厳しいぞ!』と担当刑務官に何度も言われた。『今、断っても今後の受刑生活に支障をきたすことは無い』とまで言われた。しかし、刑務所の中でどんなに悔い改め、真面目に刑務作業に服しようが、自己満足に過ぎないと知った。被害者、離れて行った妻や子供に何ひとつ出来ない。早く出所し、1円でも多く仕送りしたかった〉

 そして、A氏は本誌取材に、こうも語った。「大井に来た他の服役者も皆、仮釈放狙い。大井は仮釈放が取れる率が格段に高いからです。実際、私は大井に行ってから2年半で出れました。6年の判決で、実際の服役はトータル4年。最短でしょう」(以下、「」内はすべてA氏のコメント)

 もっとも、大井は希望してもすんなりとは入れない。「年齢は20代から40代まで。基本的に初犯で、凶悪犯、性犯罪、放火犯などはダメ。そして、自分でいうのもなんですが、模範囚中の模範囚であること。組員、刺青の入った者もダメと聞きました」

 なにしろ、全国の刑務所には約5万人の受刑者がいるが、大井の定員はわずか50名ほど。ここ以外に「開放型施設」は全国に3か所あるが、同じく定員は少ない。しかも、そこでの厳しさは軍隊並み、いや、それ以上というのだ。

「大井を希望し、許された者は一旦、松山刑務所に集められます。そこで2か月、“大井訓練生”といって、大井の生活に耐えられるように体力、規律の訓練があるんですが、自分は、あれが一番きつかったですね。1時間近く全力で走らされたと思うと、今度は階段上がり、腹筋、皆で手をつないでのスクワット。私は一番体力がなかったんです。集団責任なので、他の訓練生からも苦情を言われる。まさに地獄でした」

〈大井訓練のメニューに行動訓練というのがある。2列に整列し、全員が足をそろえて走る。『チィー、ニー、サン、シー』と大声で声を掛けながら。足が揃わなかったり、遅れて列からずれると、リーダーから罵声が飛ぶ。『ヤル気あんのかぁ』『いつまでも終わらねぇぞ』『お前には大井はムリムリ。ヤメロヤメロ』〉 A氏が訓練生になったときは7名が参加。しかし、この訓練を経て大井に行く前、自分より若い30代の2人が音を上げ、自ら大井行きを辞退したという。

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