小誌『週刊大衆』で「番長『銀幕夢物語』」を連載中の梅宮辰夫さんが、12月12日7時40分、慢性腎不全のため天国へと旅立った。81歳だった。
計6度のがんを乗り越えてきた梅宮さん。今年1月の尿管がんの手術で腎臓を摘出したため、亡くなるまでの間は1日おきに人工透析を受けていた。今年4月24日、真鶴の自宅で行ったインタビューでは、「人工透析は大変だよ」と語りながらも、3時間も取材に応えてくれた梅宮さん。「なんでも話すから聞いてくれよ」と優しい笑顔で語ってくれていた。
12月20日に発売される著書『不良役者〜梅宮辰夫が語る伝説の銀幕俳優破天荒譚』では、梅宮さんがオトコの生き様と遺言とも思えるメッセージを残してくれている。
1958年、東映の第5期ニューフェイスに合格し、芸能界に入った梅宮さんは、高倉健さん、鶴田浩二さんなど超一流の先輩に揉まれながら、役者として成長していく。著書にも、健さんにスターとしてのあり方を叩き込まれた話など数々のエピソードが掲載されている。
若かりし頃の梅宮さんの銀座通いの話は有名だ。だが74年、がんを患い、余命2〜3か月という命の危機に直面してからは、人が変わったように生活を一変させる。銀座からスッパリ足を洗い、「家族と1分1秒でも一緒にいたい」となったのだ。
梅宮さんは著書の中で、娘・アンナさんが芸能記者に追われたときのことを、こう語っている。〈そりゃあ、金銭的な尻ぬぐいもしたし、芸能マスコミからあいつを守るために、俺が矢面に立つ場面は何度もあった。でも、それをするのが父親だろ。古いと思うかもしれないけど、俺は昭和のオヤジだから〉
そんな梅宮さんにとって、やはり盟友・山城新伍さん、松方弘樹さんとの別れはつらかった。梅宮さんは今年4月の取材時も、「タイムマシンがあれば、東映の大泉撮影所で、みんなと撮影していた頃に戻りたい」と話していたのだ。「もう現世に未練や欲はない」と語っていた梅宮さん。著書のあとがきには、こうある。
〈俺は天国があるとか、地獄があるとか、あの世がどうなってるかなんて知らない。だけど、もし、本当にあの世が存在し、そこに新伍や弘樹、健さんや鶴田さんがいるんだったら、茶飲み話でもしながら、のんびり過ごしたいとは思うよ。健さんは相変わらず酒は飲まないで、コーヒー専門だろうしね(笑)。新伍のホラ話にもつきあってやりたいし、弘樹との釣り談義も悪くないな〉
さらば、番長。その雄姿と言葉は永遠に――。