■樹木希林の夫、内田裕也は肺炎で逝去

 結婚といえば、樹木希林さんの夫である内田裕也さんは、妻の死から半年後の3月17日、肺炎で逝去。享年79。73年10月11日号には、内田&樹木夫妻の対談が掲載されていた。樹木さんが「体力の続く限り、子どもを作りたい」と言えば、内田さんは、「結婚指輪は作りました。ひとつ1万5000円の安いやつだけど、まだ受け取りにいくカネがないんですよ」と内田節を炸裂。夫婦仲の良さが誌面からもあふれていた。

 2019年は美しき名女優たちが、この世から去った一年でもあった。その一人が『羅生門』や『雨月物語』など数々の名作映画に出演した女優・京マチ子さんだ。5月12日、95歳で死去した。65年4月1日号では、インタビューに応じている。結婚したら“かかあ天下”になる?「(ニッコリ笑って)時にはね」

 忍術が使えたら?「(ウフフッと笑い出して)お芝居の評判が悪かったら、恥ずかしいからドロンと雲隠れしちゃう」と、愛くるしい一面を見せてくれていた。

 10月24日には、“生涯女優”を貫いた八千草薫さんが、すい臓がんで逝去。享年88。八千草さんの記事が残っていたのは、なんと、58年8月11日号。かれこれ60年以上も前だ。当時の八千草さんは結婚したばかりで、女優としては“娘役”から“大人の女役”に転換しようとしていた時期だ。「この間、まげもの(時代劇)の汚れ役の“夜鷹”で出されちゃったんです。私の今後の演劇人生、どうなっちゃうのかしら」

 清純派から一転、そんな自分を笑いながら語っているところに、八千草さんの明るさがかいま見られるのだ。

 本誌で連載をしていた大御所たちも亡くなった。作家の安部譲二さんは9月2日、急性肺炎で逝去。享年82。本誌で毎週、政治やスポーツ、芸能界に対する怒りをぶちまけてくれていた安部さんは、非常にモテた。87年3月2日号では、愛染恭子さんとの対談で、ロマンチストな一面を見せた。

 その一方、91年の年末年始の合併号で、美川憲一さんと対談した際は、男の本音をいつも代弁して、読者に元気を与えてくれた。

 本誌連載で、いつも笑わせてくれたケーシー高峰さんも4月8日、肺気腫で死去。享年85。酒飲みでもあったケーシーさんは連載の中で、「二日酔いを治すのは簡単。三日待てばよい」と目からウロコ(!?)の金言を与えてくれたり、「僕ね、おかげさまで今年80歳になるけれど、白髪が一本もないし、虫歯もありません。これにはちゃんと医学的な理由があって、黒髪なのは白髪染めで染めているからで、虫歯がないのは総入れ歯だからなんだね。グラッチェ!」

 何事も笑いに変えてしまう。“ケーシー魂”を我々も引き継いでいきたい。

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