■元横綱でプロレスラーとしても活躍した北尾光司

 本誌にたびたびゲスト出演してくれたスターといえば、元横綱で、のちにプロレスラーとしても大活躍した北尾光司さんだ。「まだ55歳という若さながら、2月10日に慢性腎不全で亡くなったんです。トラブルが多く“稀代のヒールキャラ”と評されましたが、実際の本人は温厚でシャイな方でした」(前出・スポーツ紙記者)

 本誌では96年4月22日号に女優の東てる美さんと対談。ダイエットに関する話になって、東さんが大胆な質問したところ、「……ハッハハ、それはどうかな」と、しきりに照れる北尾さん。その一方で、格闘技に関しては、「雄と雄との真剣な戦い(中略)武闘家は負けることを怖がらないんです。勝ち負けは結果ですから」と力強く語るなど、北尾さんらしさが見られた。

 金メダリストの有森裕子や高橋尚子の生みの親でもある小出義雄監督は、4月28日に肺炎で死去した。享年80。「小出監督のエピソードで一番印象深いのは、高橋をベルリンマラソンの後、シカゴマラソンを走らせる“2週連続マラソン計画”をぶち上げた際、陸連は“無謀だ”と大反対したんです」(スポーツ紙デスク)

 この際、小出監督は本誌の取材に、「常識通りにやっていたら、世界記録なんて出ないよ!」と顔を真っ赤にして、陸連への怒りをあらわに。常に世界の頂点を目指す男の姿が、ここにあった。

 元プロ野球選手で、野球解説者としても人気だった近藤昭仁さんは3月27日、敗血症性ショックのため、死去した。巨人の作戦コーチに抜擢された83年の11月13日号で、近藤さんは、「キャッチボールの基本から、やり直し。とにかく“雑な巨人野球”を一掃したい」と当時“ぬるま湯”体質に陥っていた巨人軍に喝を入れる、愛ある発言を、本誌にしてくれた。

 関西弁で、日本の経済を分かりやすく説明してくれていた経済評論家の竹村健一さんは、82年2月1日号で、本誌に登場。経済の話をしつつ、人生論も熱く語ってくれた。「いや、僕もいろいろしくじってきてます(笑)。事業が全部儲かるんやったら、日本中は金持ちばっかり。世界中金持ちばっかりになる。恋愛と同じでね、失恋したり冷たくされたりするから、おもしろい。“好き”というたら向こうにすぐ“好き”いうてこられたら、ちっともおもしろくない」

 事業と恋愛も同じ。うまくいかないことを楽しむことが人生だと教えてくれた。

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