■フジテレビの深夜番組『冗談画報2』に出て
渡辺 そういうインパクトがあったんだろうね。生まれて初めて出たライブでいきなりスカウトされるって、なかなかないから。それ以降、爆笑は『ラ・ママ』に、新しいネタを作って出演するようになったんだよね。
田中 2回目が「中国残留孤児」、3回目が「原子力発電所」というネタで。
渡辺 ひどいネタばっかりじゃないの(笑)。
田中 両方とも途中で手が挙がっちゃって……。だけど4回目の「東京の不動産屋」のネタ見せをしたとき、リーダーに「これ、コーラスラインじゃなくて、一本ネタで行ける」って言ってもらったんですよ。そこからは、ずっと一本ネタ。
渡辺 一本ネタは強制終了がないコーナーなんですけど、俺がそう言ったんだ。ちゃんと見る目があったんだなあ(笑)。
田中 ちょうどその頃、フジテレビの深夜番組『冗談画報2』に出させてもらったんですけど、テレビでできるネタは「進路指導室」と「東京の不動産屋」しかなかった。だから、その2本をやったんです。
太田 たしかリーダーが紹介してくれたんですよね。
渡辺 そうだっけ? 全然覚えてない(笑)。
太田 『ラ・ママ』の打ち上げのとき、「お前らが、なんで冗談画報2に出れんだよ!」って絡まれた。
田中 おまけに「太田プロに入って、“ツービートの再来”とか言われてるらしいな!」とか言い出して。
太田 「どういうつもりだ!」ってね(笑)。
田中 「どういうつもりだ!」って言われても知らないよ、俺らは(笑)。
渡辺 ハハハ。それでなんで爆笑は、最初はコントスタイルだったのに、途中から漫才にスタイルを変えたんだっけ?
太田 もうコントのネタが思いつかなくなったんですよ。凝った設定をいろいろと考えてきたんですけど、このまま行くと、いずれ息詰まるなと。
田中 どれもすごく凝ってて、短編小説のようなネタだったからね。
太田 だったら、漫才の素のしゃべりにして、「ネタをどこかから持ってきたほうが量産できるだろう」と考えたんです。
渡辺 デビューしてからどれぐらい?
田中 8か月くらいですね。
渡辺「漫才にします」と言われたときは、「漫才は一朝一夕でできるものじゃないから難しいよ」って答えたんだけど、ものすごくウケた。俺、「うわーっ、すげえ!」って驚いて、鳥肌が立ったもん(笑)。
太田 俺たちが大ウケしたのは、このときと初舞台とテレビ朝日の『GAHAHAキング 爆笑王決定戦』の8週目。この3回しかない。それ以降、まったく超えられないんですよ。
渡辺 ホントに〜?
太田 終わった後に、客席にざわめきや、どよめきが起きるようなことはもう。
田中 まあ、めったにないんですよ、これは。
渡辺 でも、あるよね。「やったぜ!」って、ドヤ顔で帰る瞬間が。
太田 いやあ、リーダーはないでしょ!