■プロ野球選手、張本勲はよく遊び…

 昭和の時代は、プロ野球選手もよく遊んでいた。張本勲(79)は、日ハム(前身は東映フライヤーズ)時代に登場した(75年7月14日号)。「銀座は男のオアシス」と豪語。また、銀座に限らず、各地の盛り場でバットをフルスイングしているという“アッパレ”な生活を告白しているのだ。「松方弘樹は800人を斬っているというけど(中略)顔じゃ負けるけど、遊びと内容じゃ負けない。800人どころじゃない」

 張本はこの年のオフに、巨人に移籍。そこでOH砲を組むことになる王貞治(79)は、25歳だった66年3月24日号で、作家の寺内大吉と対談した。時期的に宮崎キャンプの話題に。寺内は「宮崎のネオン街にも、ずいぶんおなじみさんができたでしょう」と冷やかした。すると、若き日の王は、頭をかきながら答える。「いやあ……そうでもないです。だいたい遊ばないほうですよ、ぼくは。ぼくばかりではなく、ジャイアンツの連中は、あんまり外へ出ないじゃないですか」

 当時、婚約中だったこともあってか、やんわりと否定した。あくまで、あまり夜遊びはしないと強調する。

 ところが……その王に続く球界2人目の国民栄誉賞受賞者“鉄人”衣笠祥雄(享年71)が、それを否定してみせた(91年1月28日号)。44歳の衣笠も古き良き銀座を振り返り、こう言った。「昔は王さんも凄すごかったし、柴田(勲)さんも凄かったね。銀座というとジャイアンツの選手が多かったですね」

 ワンちゃんは、本当のことは言わない策士だった!?

 王を豪球で苦しめ、衣笠と広島で一緒にプレーした江夏豊(71)は、95年9月4日号で、プロ野球選手からタレントに転向したパンチ佐藤と対談した。“今の選手はマスコミの目を気にして遊ばない”というパンチに、江夏はうれしそうに話したのだった。「衣笠なんか気も合ったし、国民栄誉賞とかエラいもんもらったけど、そうやな、遊びのほうも好きだったな」

 パンチの恩師にあたるのが、オリックス時代の監督 ・仰木彬(享年70)だ。「仰木さんは、現役時代は豪傑ぞろいだった西鉄ライオンズの一員。相当の遊び人だったとか。それが、野茂英雄イチローからも尊敬される名将になるのだから面白い」(スポーツ紙記者)

 パンチから、自分に戦力外通告をした理由を聞かれると、当時59歳の仰木はデッドボールを受けたパンチが倒れて動かなくなったときの話を始めた(95年1月16日号)。「球場内がシーンと静まり返ると、なんや突然立ち上がって全力で走り出した。(中略)あのときのタイミングと場内の爆笑を聞いたとき、この男、野球なんかさせとくのもったいない。自分のキャラクターで勝負できる世界のほうが向いとる。こうひらめいたわけや」

 野球選手としてはイマイチながら、芸能活動が順調のパンチは、仰木にひれ伏すのみだった。

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