■「パ・リーグに恩返ししたい」
〈あと何年生きられるだろうかと思うことがある。私のように太っている人間は心臓への負担が大きいから、長生きはできないようだ。だとしたら、残された時間は十年ないかもしれない。
当然、死について考える。死について考えるということは、死ぬまでに何ができるかを考えることでもある。あと十年……私に何ができるだろうか。何をしたいのだろうか。最近、そんなことをよく考えるようになった。〉(『女房はドーベルマン』双葉社=以下、引用は同掲書)
続けて、〈生計、身計、家計、老計、死計という言葉がある。人生の各段階でいかに処すべきかを表す言葉と言えようか。今や私は老いにいかに対処するか、そして死にいかに対処するかを問われる年代となった。(中略)
人の評価は死ぬときに何を残したかで決まると言われる。財を残すのか。仕事を残すのか。人を残すのか。上中下のランクをつければ財を残すだけでは下。仕事で成果や実績を残すのは中だろう。人を残すことにこそ、最上の価値がある〉
と語っていた。そして話は、自身の天職である「プロ野球の監督」へと移る。
〈監督をするということは、ある資意味では人を残すことが使命である。私はたびたび人を残すことができただろうかと自問する。もちろん、判断は他人が下すことだ。
この先も、私が人を残す可能性があるとしたら、それは野球界においてほかに場所はない。
テスト生としてプロ入りして以来、自分を育ててくれたパ・リーグに何とか恩返ししたい……ただそれだけの気持ちで、最後にパ・リーグの球団の監督を務めることができたら、という気持ちも憎越ながらある〉
同書が出版されたのは02年。その4年後の06年、ノムさんはパ・リーグの東北楽天イーグルスの監督に就任。その翌年にイーグルスに入団した田中将大は、ノムさんの指導のもと、日本球界はもちろん、海の向こう、メジャーリーグを代表する投手へと成長した。
2月11日、田中は野村監督の訃報を受けてツイッターを更新。
〈突然の訃報に言葉が出ません。野村監督には、ピッチングとは何かを一から教えていただきました。プロ入り一年目で野村監督と出会い、ご指導いただいたことは、僕の野球人生における最大の幸運のひとつです。どんなに感謝してもしきれません。心よりご冥福をお祈りいたします〉
“ノムラの遺伝子”は野球界にくまなく息づき、受け継がれていくことだろう。