■「生きづらさ」と向き合う平成女性アイドルの強さ

 ただそんなコミュニティ志向の一方で、平成という時代には個人志向も高まった。既存のコミュニティに頼れなくなったからこそ、個としてのあるべき生きかたを誰もが自らの手で模索する。それが平成のもうひとつの顔だった。

 アイドルグループも同様だ。グループはお互いに助け合うコミュニティである一方で、個々のメンバーが切磋琢磨する場にもなった。AKB48グループが世間の注目を集めるきっかけとなった「AKB48選抜総選挙」は、いうまでもなくその象徴である。票数というシビアなかたちで序列が決められるこのイベントは、メンバーがそれぞれの生き様を主張する場であった。だからこそ、感動的なスピーチなど記憶に残る名場面も生まれた。

 コミュニティ志向と個人志向の対比は、あくまで比重の違いではあるが乃木坂46と欅坂46のあいだにもあると言えるだろう。

 乃木坂46に感じるのは、とても根源的なコミュニティ志向だ。それは単に仲が良いとかいうことではなく、彷徨える孤独な者たちにとっての居場所としてのコミュニティのありかを教えてくれるようなものだ。たとえば、「君の名は希望」や「シンクロニシティ」は、まさにそのような楽曲だろう。

 一方欅坂46には、個としてどう生きるかをぶれずに追求する個人志向の色彩が濃い。それは同時に、自分のなかにある絶望の深さをわかってくれない世間や大人たちへの反発として表現される。「サイレントマジョリティー」以来多くの楽曲において、彼女たちはたとえ周囲から孤立しても自分を曲げるなと主張し続けている。

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