野村克也
野村克也

 惜しまれつつこの世を去った「史上最高の野球賢者」。『週刊大衆』に残した貴重な発言の数々を振り返る。

 日本球界の至宝・野村克也さんが、2月11日に亡くなった。享年84。その突然の訃報に、球界は大きな悲しみに包まれた。「長嶋、王、張本といったレジェンドから、原、高津、稲葉といった監督たち、そしてダルビッシュ、田中将大ら現役選手まで、球界の超大物たちが次々に追悼のコメントを発表。野村さんの存在の大きさを、改めて感じました」(スポーツ紙デスク)

 ヤクルトや楽天といった野村さんとゆかりのあるチームはもちろん、巨人をはじめ、直接関わりのない球団でも、各キャンプ地で黙禱が捧げられた。「球界全体が、偉大すぎる人物の損失を惜しんでいるかのようでした」(前同)

 南海時代に野村監督の下でプレーした野球解説者の江本孟紀氏も、突然の別れに驚きを隠せない。「実は対談本刊行のため、昨年終盤に5〜6回会っていました。いつもお元気だったんで“100歳まで生きるんじゃないか”と思っていたくらい。“まさか”という感じです」

 本誌で『プロ野球スター名選手 新ボヤキ論』を連載中だった野村さん。他界の2日後には次の取材も組まれていた。まさに、急逝だった。「“連載が大好評です”と、反響を伝えると、いつも“お世辞でもうれしいね”と、はにかんだ笑顔を見せてくれたんです。あの表情は忘れられません」(本誌連載担当)

 野村さんは名選手、そして名監督として長らく活躍。その輝かしい実績は、ここで語るまでもないだろう。

 野球評論家の藪恵壹氏は、野村監督と過ごした阪神時代の3年間をこう振り返る。「ノムさんが監督になると聞いて、“阪神が良くなるんじゃないか”と、すごくワクワクしたのを覚えています。実際、『野村の考え』によって、僕の野球に対する考え方はガラッと変わりました。2003年に阪神は優勝しましたが、その種を蒔いたのは間違いなくノムさんです」

 江本氏も「いい思いをさせてもらいましたよ」と、現役当時を語る。「僕が長く野球を続けることができたのは、野村監督のおかげ。プレーオフや日本シリーズといった大舞台に立たせてもらって、感謝しています」(江本氏)

 選手や監督としての功績もさることながら、野村さんの代名詞と言えば、やはり“ボヤキ”。本誌でも連載やインタビューで、歯に衣着せぬ野球批評を、たびたび語ってくれた。

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