■ニューヨークや東西冷戦時代のベルリンで

 2人は第一線の映画監督とスター俳優である。しかも、当時は20代後半から30代。もちろん、近所づきあいだけではなく、感性の磨き合いもしていた。「当時の僕は、それなりにトレンドに敏感だったので、そうした知識の交換もしていました。ファッションの趣味が近かったし。そういえば、ニューヨークに古着を一緒に買いに行ったこともありましたよ。大騒ぎの4日間でしたけどね。最初の日は古着屋を14~15軒も回りましたから」

 2人で渡米して、古着を山のように買い込んだ。「でも、最後は“一点ぐらいは、新しい服も買おう”ってことになったんです。気になるブティックで、渋い草色でちょっと光沢があるスーツを2人で買いました。2人とも体が大きいので、“こっちはサイズがあるからいいね”なんて言いながらね。そして夜、ホテルに帰って、ファッションショーをやったわけです。そのとき、タグを見たら、その新品の服は『ニコル』……つまり日本のブランドだったんですよ」

 ニューヨークの最先端のスーツを買ったつもりが、まさかのメイド・イン・ジャパンだったというのだ。「“でも、このサイズは東京では売ってないよ”って慰め合ったりしてね(笑)」

 そんな2人は、焼酎のCMロケでも海外に出向いた。「最初の海外ロケ先が、東西冷戦時代のベルリンで、夜遅くに3日連続でディスコに通いました。これがガラの悪いところでね。アメリカ兵と、その兵隊目当てのベルリンのお姉ちゃんたちが集うような、言ってみればナンパ場所ですよ。そんな店のど真ん中で踊りまくって、米兵とぶつかって、危うく乱闘になりかけたりもしました。そのときは“ベルリンで遊んでいる俺たちってカッコいいよね”なんて青臭いことを思ってた。ただ3日も通ったのに結局、ドイツ人のお姉ちゃんは引っかからなかったですね(笑)」

 音楽通でもある監督は、ミュージシャンとしての優作さんに接する機会も多かった。「ライブはほとんど観てますね。それに、何かあると必ず呼ばれるんです。よく、スタジオにいる優作から電話がきて“今、リハーサルやってるから来いよ”なんて言われる。“行ってもしょうがないだろ”と言いながらも、しかたなく行っていたわけです」

 なぜ、いつも監督を呼び出したのだろうか。「要するに“褒め要員”なんですよ。優作は“どうだ、いいだろ?”って言いたいし、“いいねえ”って言われたいんです(笑)」

 こんな思い出話もある。「その日はいつもと違って、“今日、このスタジオに阿川が来てるんだよ。表敬訪問に行くから、おまえも来い”って」

 美貌のジャズシンガー・阿川泰子はもともと役者志望で、優作さんと文学座研究所の同期生。強引に誘われた崔監督は、同じスタジオの別ブースにいる彼女を訪問することになる。「阿川さんは手を上げてあいさつをしてくれたけど、当然、自分のやるべきことを続けているわけです。すると優作は緊張した様子で、ドアの前に突っ立って動かない。だから、僕も横に立っているしかなかった。あの音楽性とか、声とか、優作は自分にないものを持っている彼女を尊敬していたんですよね。だから、気楽に側に近づかずに、凝視していた。ただ、あれはたぶん、阿川さんにとって迷惑でしたよね(笑)」

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