■デヴィ夫人は家計を支えるためにクラブ勤務
『世界の果てまでイッテQ!』(日本テレビ系)での体をはったロケや、ベストセラーとなった自伝『選ばれる女におなりなさい』(講談社)の出版など、各方面から引っ張りだこのデヴィ夫人(80)。
デヴィ夫人がインドネシアのスカルノ大統領夫人だったことは有名な話だが、過去には多くの苦労があったという。
「デヴィ夫人は華やかなイメージが先行しがちですが、実は生まれた家庭は裕福ではなかったんです。家計を支えるため定時制高校を中退し、赤坂の高級クラブのホステスとして勤務し、弟の大学の学費も稼いでいたといいます。夫人が働いていたのは水割り1杯の価格が当時の大卒初任給とも言われた超一流クラブでしたが、持ち前の美貌と頭の良さで人気を博していたそうです。
そこに目をつけたある商社マンが夫人をスカルノ大統領に紹介し、夫人は見事に見初められてインドネシアへ渡りました。スカルノ大統領は最初、愛人の1人としか思っていなかったようですが、彼女の内面にひかれて正式に結婚し、第3夫人としたんです。インドネシアは一夫多妻制でしたからね。
結婚後、インドネシアの情勢激変のため、娘を連れてフランスへ亡命していた夫人は、フランス社交界の華としても存在感を放ち、アラン・ドロン(84)に口説かれたこともあったと明かしています。スカルノ元大統領の死により結婚生活は8年で終わってしまいましたが、夫人は今でもスカルノ元大統領のことを大切に思っているようです」(芸能プロ関係者)
今後も、世界的セレブと交際する女性有名人も出てくるに違いない。