■ギャラの配分で確執が……

「志村さんはドリフのボウヤ(付き人)を経験し、24歳でグループに加入します。当時、加藤さんが一番人気でしたが、志村さんは徐々に頭角を現し、『8時だョ!全員集合』(TBS系)は国民的な人気番組になりました。

 ただ、当時のドリフのギャラの配分はいかりやさんが6割、他の4人のメンバーが1割ずつというもので、志村さんをはじめ他のメンバーはいかりやさんに不満を抱いていたという報道もありましたね」(芸能記者)

 2016年1月放送の『ダウンタウンなうSP』(フジテレビ系)に出演した志村さんは、いかりやさんが亡くなったときの心境を聞かれ「やっぱりツラいですよね」と答え、「一応、全部教えてもらったこともありますから。師匠ですからね」と語った。

 さらにいかりやさんとの確執について尋ねられると「ドリフターズ事務所を作ったらそこに(ギャラが)入るようになって、その辺で配分が変わってきた」と明かし、「ドリフターズの営業で1回1500万円とかいきましたよ。それ聞いたら俺たち何ももらってないじゃんってなっちゃったんだよね」とギャラの配分で確執が生まれたと明かした。

「また、晩年もいかりやさんと志村さんの溝は深まっていったといいます。『ドリフ大爆笑』(フジテレビ系)では、志村さんと加藤さんは動きのあるコントで笑いを取っていました。一方、いかりやさんは仲本さんや高木さんと出演していた『雷様』のコーナーのような落ち着いたスタイルの笑いを求めていたんです。そんないかりやさんに、志村さんと加藤さんはイラだっていたといいます。

 スタジオではお互いの収録に立ち会うこともなく、志村さんはコントのリストをいかりやさんに見せるだけで、5人のコントもほとんどなくなってしまっていた。しかし、いかりやさんが“リーダーを辞めたい”と言い出したことで、志村さんが“これではダメだ”と奮起し、“もう一度、全員でまとまろう”と話し合い、解散寸前だったドリフの危機を救ったというんです」(お笑いプロ関係者)

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