■当時は異例尽くしだったキンキ

 キンキは1993年に結成された堂本光一と堂本剛(41)によるユニットで、ジャニーズにとっては初の“2人組ユニット”で“関西出身グループ”だった。

 デビュー曲『硝子の少年』も、アイドルらしからぬ暗めの歌詞やメロディが一世を風靡。いろいろと異色のジャニーズだった。

「97年のポテトチップス『オー・ザック』や、2008年の『アサヒ十六茶』CMを見ていると分かりますが、“カッコよさ”よりも“シュールなギャグ”を求められることも多く、関西弁や2人の掛け合いも相まって、お笑い芸人のような印象を受けていた人も多いでしょうね」(女性誌記者)

 特に光一は、いろいろな点でほかのジャニーズとは一線を画していた。

「まず、ファンやバラエティでも容赦なく毒を吐く(笑)。ライブで“目があった人~?”と聞いておいて、“ぜんっぜん見てねえから!”とバッサリ切り捨てたり、2014年の『王様のブランチ』(TBS系)で1万円超えのシャツについて“1万⁉ 布だぜ⁉”と発言して話題になったこともあります。

 さらに今年3月14日放送の『KinKiKidsのブンブブーン』(フジテレビ系)では、NEWS小山慶一郎(35)が光一主演の舞台に出演した際に居眠りしてしまい、出番に間に合わなかったことについて”死ねばいいのに!”と、ジャニーズらしからぬ強烈な発言も見られました。

 ただし、ファンに対してはキツい発言をしたあとのフォローも欠かさないため、ツンデレトークとして好評で、“塩対応”の元祖と称する声もありますね」(前出の記者)

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