里美たかし、大衆演劇を語る「好きじゃなければ、とてもできない」の画像
里美たかし(撮影・弦巻勝)

 初めて舞台に立ったのは、3歳のときです。今でも鮮明に覚えています。セリフはひと言だけ。「ちゃん!」でした。

 僕の両親は2人とも舞台人。だから僕の側には、いつでも“大衆演劇”の世界がありました。一座の中で毎日過ごして、一座の中で遊んで……。一座の中で大きくなっていったようなものです。

 とはいえ、舞台を観るのは好きでしたが、自分が出ることにはとまどいがありました。化粧……とりわけ、女形で白粉を塗るのがイヤでイヤで、たまらなかったんです。そんな僕が舞台に立った理由は、「なんでも好きなオモチャを買ってやるぞ!」という、親父のひと言。殺し文句に、見事にはめられてしまいました(笑)。

 ですが、6歳のときに、親父が体調を崩して一座は解散。僕が座長となって、再び「劇団美山」の旗を揚げたのは、12歳のときです。

 最初は、僕と両親と、初代の奥さんの4人だけ。どんな強風にも負けずに翻る猛々しい旗……と言いたいところですが、毎日を乗り切るのが精いっぱい。風が吹いたらポキッと折れるような旗でした。

 転機となったのは、親父が亡くなったことですね。そのとき、僕は21歳になっていました。舞台の上では僕が座長でしたが、公演に関することは、まだ親父におんぶに抱っこ。それがある日突然、いなくなってしまった。ショックで、茫然自失となりました。でも、お客さんは待ってくれない。その日から、やれることは全部、自分でやりました。劇団を潰すわけにはいかないですからね。

 その後、新しく若い人が一座に加わるようになってからも、旗は翻るどころか、今にも倒れそうな、ひ弱な旗のまま。世間からは“子ども劇団”とか“まるで学芸会”という厳しい言葉をいただいていました。

 当時は、自分たちの未熟さを棚に上げて、「なにクソッ!」「今に見てろよ!!」なんて言っていましたが、あの頃があったからこそ、お客様に応援していただける劇団に育てていただけたんだと思っています。

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