阪神入団を逆転した巨人「疲弊した王は母の腕枕で寝息を立てた」の画像
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 “甲子園のスター”だった王貞治の巨人入団秘話。昭和33年の夏の甲子園大会が終わった3日後の8月22日、日刊スポーツ一面には、こんな見出しが躍った。〈早実・王投手 阪神入り濃厚〉

 この記事に目を白黒させたのが、甲子園大会の取材を終えて東京に戻っていた報知新聞(現・スポーツ報知)のデスクだった。「寝起きにこの記事を目にした瞬間、眠気が吹き飛んだのを覚えています。当時の球界では、王は早大に進学するのが既定路線だと思われていたので、信じられませんでしたね」

 その記事が頭から離れない報知のデスクは、“裏取り”のため、出社前に押上(東京都墨田区)にあった王の実家を訪ねることにしたという。王の実家は『五十番』という名の中華料理店を営んでいた。デスクが訪ねてみると、王は武蔵関にある早実のグラウンドに練習に行っており、不在だった。王の両親に探りを入れてみると、明言こそしないものの、否定もしなかったという。

「阪神入りは確実だな」 こう直感したデスクは、王の両親にこう言い残して、急いで店を出た。「王くんにも話を聞きたいので、夕方もう一度、お邪魔させてもらいます」

 そうは言ったものの、社に戻り仕事を片づけると、終電間際になっていた。「迷惑だと思ったけど、午前0時過ぎに再び王の実家を訪問しました。両親も王も律義に寝ずに待っていてくれました。両親の了解を取り、王を浅草に連れ出して、2人で深夜営業している喫茶店に入ったんです」

 王は報知のデスクに、こう打ち明けたという。「実は佐川さん(阪神のスカウトを担当していた佐川直行)に、“お世話になります”と返事をしたんです」

 夏の甲子園大会に出場したこともある佐川は、立教大学を卒業後、銀行員を経て日本野球連盟(現在の日本野球機構=NPBの前身)に入社し球界入り。その後、大映、中日のスカウトを経て阪神のスカウトになっていた。当時の球界を代表する“敏腕スカウト”だ。

 バツが悪そうにアイスコーヒーをすする王に、そのデスクはこう切り出した。「王くん、佐川さんに返事をしたのはどこだったの? そのときは、王くん一人だったの?」

 すると王は、「はい。場所は吉祥寺のレストランの2階でした。佐川さんと食事に行ったんです。僕一人だけでした」

 王の返事を待つとデスクは、用意していた言葉をすぐさま投げかけた。「王くん、それは“約束違反”だよね……」

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