演歌歌手・徳永ゆうきインタビュー「“Lemonの人ですよね?”と言われてアタフタ」の画像
徳永ゆうき(撮影・弦巻勝)

 子どもの頃から、歌と鉄道が同じくらい大好きでした。両親が昭和の歌謡曲を好きで、二人が聴いたり歌ったりしているのを耳にしているうち、いつの間にか、僕も演歌が好きになっていました。そして自分でも歌うようになって、最初に覚えたのは、千昌夫さんの『北国の春』。小学5年生のときには、千さんの全曲集も買いましたね。

 中学生くらいからは、親と一緒にカラオケ喫茶へ歌いに行くようになって、親戚や知人の集まりなんかで人前で歌う機会もよくありました。でも、僕にとって歌はあくまでも趣味。小さい頃から、将来は鉄道関係の仕事に就くのが夢だったんです。車掌か駅員になりたくて、ずっとそれを目標に勉強していました。

 転機になったのは、高校2年生の夏、『NHKのど自慢大会』に出場したこと。よく一緒にカラオケに行っていたアニソン好きの友達から誘われて、やむなく応募ハガキを出したら、僕だけが予選を通過。本戦に出場することになったんです。

 お客さんが2000人も入るような会場で、しかも生中継の全国放送。バンドの生演奏で歌うのも初めてでしたから、ものすごく緊張したのを覚えています。

 結果、合格の鐘をもらって、優勝。その後、チャンピオン大会にも出場することになり、グランドチャンピオンになることができました。

 ただ、それでも「歌手になる」という思いはまったくなく、「ええ記念になったな」と、鉄道会社就職のために勉強を頑張ろうと気合いを入れ直していたくらい。そんな中、レコード会社からプロ歌手デビューのお誘いをいただいたんですね。

 本当にすごく悩みました。歌と鉄道。どちらも、好きで好きでたまらないものです。鉄道会社に勤めたら安定した生活ができるでしょうが、歌手は成功するかどうかも分かりません。ただ、歌手なんて、誰もがチャンスをいただけるものじゃない。悩んだ末、「やってみてダメならそのとき考えればいいや」と、演歌の道に飛び込むことに決めました。

 どうして小さい頃から演歌が好きだったのか、自分にもよく分かりません(笑)。でも、歌っていて、とても心地よかったんですね。だから、ずっと演歌ばかり歌ってきました。

 でも、最近はポップスを歌う機会も増えました。きっかけは数年前、テレビ番組の企画で、米津玄師さんの『Lemon』を歌わせていただいたことでした。

 僕は失礼ながら、当時大ヒットしていたこの曲をまったく知らなくて(笑)、聞いてみたらとにかく難しい。リズムやメロディの進行が演歌とは大違いで、「どうして、大サビの前に違うメロディが入るんや!?」なんて、とまどうことだらけ。必死で練習して、とにかく間違わないことに全神経を集中して歌いましたが、大きな反響をいただいてうれしかったですね。

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