名予備校講師・吉野敬介インタビュー「人生は不平等だらけ。せめて受験だけは平等に受けさせてあげたい」の画像
吉野敬介(撮影・弦巻勝)

 僕は、大学を卒業して24歳のとき、代々木ゼミナールの講師採用試験に合格。史上最年少、かつ最高得点での合格でした。それから、もがきながらもトップ講師になることができ、その後、東進ハイスクールに移籍。そこでもトップになることができました。

 僕を語るときに、枕ことばのようについてくるのが“元暴走族の特攻隊長”というキーワードです。10代の頃は、ケンカにバイク、タバコ……もう、悪いことはなんでもあり。それだけで本が2、3冊書けるほど(笑)。今振り返れば、“よく堕ちなかったな”と思うくらい、危ない綱渡りの連続でした。

 そんな落ちこぼれの人生が一変したのは、20歳のときです。

 なんとか高校を卒業して、中古車販売店に潜り込んだ僕は、給料が35万円を超えたのをきっかけに、「ねぇ、大学にはいかないの?」「いつビッグになるの?」が口癖だった元カノに、ヨリを戻そうと電話をしたんです。「ビッグにはなってないけど、振られてからオレ頑張ったから、もう一回考えてくれないか」と。

「明日なら、会ってもいいよ」という返事をもらったときは、自信満々、浮かれ気分120%。“これで人生やり直せる”と、頭の中はバラ色でした。

 ところが、待ち合わせの場所に着いた僕を待っていたのは、大学生の彼氏が運転する車に乗った元カノの姿でした。車は僕の前をスーッと通りすぎ、10メートルほど行ったところで停車。彼女は、何もなかったように助手席から降りて、僕に向かって手を振ってきたんです。

 このときの僕の気持ちを言葉にするのはちょっと難しいですね……。憎しみ、悲しみ、悔しさ、怨念、屈辱……いろいろな感情が入り交じり、僕の心を満たしました。“ふざけんな。絶対に見返してやる。オレも大学生になってやるよ”その足で店の社長のところに行って、大学受験するから辞めさせてくださいと言いました。それから4か月間、猛勉強して大学に入ったんです。あれが僕の人生にとって、大きなターニングポイントになりましたね。

 僕は代ゼミで16年、東進ハイスクールで12年。ずっとトップを走り続けてきたという自負があります。

 今も塾予備校に残っていれば、今年も来年も再来年も一番になれただろうと思いますが、トップになった時点でその上はない。限界が見えることは、僕にとって、とてもつまらないことなんです。また、ライバルがいないレースほど、つまらないものはないんです。

  1. 1
  2. 2