梅沢富美男、女形ブレイクのきっかけは国民的漫画家のひと言だったの画像
※画像はイメージです

 俳優でタレントの梅沢富美男(69)が、6月8日放送のラジオ番組『伊集院光とらじおと』(TBSラジオ)で、自身の芸能人生を振り返り、“下町の玉三郎”と呼ばれる女形スターの誕生秘話を明かした。

 まず、番組パーソナリティを務める伊集院光(52)は「梅沢さんの歴史をイチから聞いていきたい」と求めると、自身にとって梅沢は、突然、ヒット曲『夢芝居』で芸能界にあらわれたイメージだと笑った。

 梅沢は大衆演劇の花形役者の父と、娘歌舞伎出身の母との間に生まれた。1歳7か月のときに初舞台を踏み、その後、15歳の頃から本格的に男役として活動。25歳のときに『仮面ライダー』や『サイボーグ009』で知られる漫画家の故石ノ森章太郎さんが舞台を見に来るようになったという。

 石ノ森は梅沢の大ファンになり、「これからの役者はゴルフぐらいできないとダメだ」とゴルフを教えてくれたり、銀座で酒の飲み方を教えてくれたらしい。そしてある日、石ノ森は「おまえ、ちょっと踊ってくれないか。今度見に行くから」と、『矢切の渡し』のレコードを渡されたという。

 この曲は83年に細川たかし(69)がカバーしたことで大ヒットしたが、梅沢が渡されたのは76年発売のちあきなおみ(72)のシングル『酒場川』で、オリジナルの『矢切の渡し』はそのB面だった。石ノ森のお気に入りで、梅沢は「飲みに行くと、あればっかり歌ってるんですよ」と振り返った。

 梅沢は、踊りのアドバイスをしてもらおうと、レコードを持って座長である兄の武生(80)のところに。すると兄は「無理だよ、これ、相舞踊だから」と、この曲は男と女が歌詞に合わせて踊りを掛け合う相舞踊だと指摘し、「俺、女形できねぇから、おまえやれ」と女形を梅沢に任せたという。

 しかし梅沢も女形の経験はなく、「どうやったら女形やれんですか?」と問うと、兄は「おまえは女好きなんだから、女見りゃあいいだろ」とアドバイス。梅沢は「あ、ラッキー」「じゃあ、楽じゃない」と思ったと笑い、化粧したら女形になっていたと語った。

  1. 1
  2. 2