レジェンドのルーキー時代「長嶋茂雄と王貞治」永遠ライバル愛憎秘話の画像
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 どんな大物選手にでもルーキー時代はある。レジェンドの両雄は初キャンプ、オープン戦をどのように戦ったのか!?「ON秘話」より、長嶋茂雄王貞治のプロ1年目の開幕までを紐解いてみたい。(文中一部=敬称略)

 昭和33年2月15日、卒業試験を終えた長嶋は、巨人のキャンプ地・明石(兵庫県)に向かった。午後9時45分発の急行「さつま」。東京駅の15番ホームには、立教大の同期で南海入りが決まっていた杉浦忠と、寮で長嶋と同室だった杉本公孝(国鉄)が見送りに来ていた。“六大学のスーパースター”長嶋のキャンプ入りとあって、大阪駅では報道陣がどっと乗り込んできた。長嶋と同行していた巨人の若林俊治総務部長は何事かと驚いたというが、2人が腰を抜かしたのは、翌16日の午前10時前に明石駅に着いたときだった。ホームには300人以上の人がごった返していたのだ。

 長嶋と若林は「有名な映画俳優でも同乗していたのだろう」と思っていたのだが、人の群れは長嶋を一目見ようとするファンだった。スーツ姿の長嶋は、ファンにもみくちゃにされながら、合宿先の旅館まで歩いて行くはめとなった。旅館まで10分で着くところが、40分以上かかったという。

 翌17日から練習に参加した長嶋は、初っぱなに水原茂監督からノックを受けたが、卒業試験などで約3か月のブランクがあったせいか、動きは鈍かった。水原監督は長嶋の体をほぐしてやろうと、「馬場と一緒に外野を走れ」と指示した。ご存じのように、馬場正平はのちに日本プロレスに入門し、ジャイアント馬場となる。馬場は高校を2年で中退し、昭和30年に投手として巨人に入団。二軍で実績を残し、長嶋が入団する前年には一軍での登板も経験していた。

 守備では調子の上がらなかった長嶋だが、バッティング練習では、三遊間に2本の安打を放つ。二軍の打撃練習にも参加し、ここでもヒット性の当たりを連発して首脳陣を喜ばせた。ふだんは一軍の練習が終わると帰ってしまう報道陣も、全員残って長嶋の一挙一動を追っていた。球団関係者は、改めて長嶋の人気ぶりを目の当たりにした。

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