赤穂事件、いわゆる忠臣蔵における最大の謎は元禄一四年(1701)三月一四日、勅使饗応役となった浅野内匠頭長矩がなぜ、江戸城内松の廊下で不意に吉良上野介義央に斬り掛かったのか――だろう。これまでにもこの連載で何度か取り扱った事件の最大の謎に、新たな視点を交えながら迫ってみたい。 当時、幕府は毎年正月…


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