■ダメな4人が残っていた
渡辺 その大人数から4人組のグループにどんなふうになったんだっけ?
肥後 渡辺さんが「ラ・ママ新人コント大会」をスタートさせたのが86年1月。その何か月か前に、道劇で「おまえも出ろ」と言われて、「分かりました」と返事をしたんです。それからしばらくして歌舞伎町を歩いてたら、たまたま渡辺さんと会って。「ネタ作りは進んでいるか?」って聞かれたんだけど、そのこと自体忘れてたから、チンプンカンプンで(笑)。
渡辺 チンプンカンプンだったのかよ(笑)。
肥後「出るって言ったんだから責任を果たせよ!」って、すごく怒られた。それで、すぐに電話して連絡が取れたのが、上島、寺門、南部さんの3人だけ。
渡辺 精鋭を集めたわけじゃなくて、たまたま……?
寺門 みんな、仕事やバイトがあって、一番暇な人間が集まったんです(笑)。
上島 そうですよ(笑)。ダメな4人が残っていたんです。それで4人で稽古を。
肥後「渡辺さんが怒ってるから、とりあえず1回だけやろう」ってね(笑)。
――渡辺さんはダチョウ倶楽部の初めてのコントを覚えていますか?
渡辺 もちろんですよ。大爆笑に次ぐ大爆笑でしたね〜(笑)。
肥後 全然、覚えてないですよね(笑)。
渡辺 うん。でも、ウケたのは覚えてる。そうでなければ、その後、定期的に出演してなかっただろうし。
寺門 今思えば、ラ・ママには夢があったよね。
渡辺 いいこと言うね(笑)。
寺門 あそこで「一番ウケた」って言われるたびに、芸人としてワンランク上に上がった気がしたし。流れも、どんどんいい方向に変わってくるんですよ。
上島 ラ・ママ出演のために、ショーパブで新ネタを作ったりしてたもんね。ちょうどその頃、テレビ局のプロデューサーとか、お笑い関係のいろんな人たちが観に来るようになって。
渡辺 時代が新しい芸人を求めてたからね。
上島 僕が覚えてるのは、そうした人たちはみんな、一緒に出てた『ウッチャンナンチャン』を評価してたんですよ。「ウンナンは最高だ」って。でも、渡辺さんと肥後の師匠の杉兵助先生だけは「いや、今日はダチョウが一番よかった」って褒めてくれた。あれはホントうれしかったなあ。
寺門 僕と上島は道劇で何度か会っただけで、直属の弟子でもないのに、なんか優しくしてくれたよね。
肥後 道劇は杉先生がいたから、お笑い芸人に対してすごく優しかった。
渡辺 俺が22歳で道劇に入った当時、先生は60代前半だったんだけど、歯が1本しかなくてヨボヨボ。初めは「こんなジジイが師匠なのか……」って落胆したもんだよ(笑)。でも、たけしさんが一度だけ、道劇の楽屋まで先生に会いに来たことがあってね。
上島 えーっ!?
渡辺 あるとき、たけしさんが先生の昔のネタをテレビでやったんだって。その報告のために、あいさつに来てくれたんだよね。
寺門 すごいっすね!
渡辺 そのときばかりは、「あのたけしさんがわざわざあいさつに来るなんて。この人、ただのジジイじゃないな」と思ったよ(笑)。