王貞治、KKコンビ、ハンカチ王子…夏の甲子園「伝説の名勝負」舞台裏の画像
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 高校野球の熱いドラマは、いつでも我々の胸を打つ。貴重な証言とともに、球史に残る試合をプレイバック。

 夏の風物詩といえば、やっぱり甲子園。残念ながら今年は新型コロナウイルスの影響で中止となったが、過去には数多くの激闘が繰り広げられてきた。今回は、球史に残る名勝負を、関係者の秘話とともに振り返っていこう。

 まずは、1957年の第39回大会。ある2年生投手が史上唯一の「延長戦ノーヒットノーラン」という大記録を打ち立てた。その選手こそ、のちに世界の本塁打王として名を馳せる王貞治だ。早稲田実業(東京=当時、以下同)のエースだった王は、2回戦で寝屋川(大阪)と対戦。だが、けっして調子は良くなかったという。「カーブがまったく決まらず、本人的には不本意な投球。だから、まだヒットを打たれてないことに、なかなか気がつかなかったそうです」(旧知の元記者)

 だが、その後、王は尻上がりに調子を取り戻し、試合が延長戦に入っても投球は崩れず。そして延長11回、犠牲フライの1点を守り切って大記録を達成する。「後年、王さんは“7回くらいからノーヒットを意識し出した”と振り返っていました。高校時代の話になると、“春夏通して、延長戦のノーヒットノーランは、いまだに僕だけ”と、熱が入る。王さんはセンバツ優勝投手でもありますが、この記録のほうが思い入れは深いようですね」(前同)

 世界の王でも、甲子園での偉業は格別なのだろう。

 1973年の第55回大会では、雨の中で名勝負が繰り広げられた。作新学院(栃木)と銚子商(千葉)の一戦。主役は、作新エースの“怪物”江川卓だ。試合は0対0のまま、延長12回に突入。作新の表の攻撃は0点に終わる。「この日は朝から雨で、グラウンドコンディションは最悪。本来なら延長は18回ですが、試合中に、12回までで引き分け再試合にすることが決まっていました」(ベテラン記者)

 12回裏、江川は四球から一死満塁のピンチを招き、カウントは3ボール2ストライク。ここで江川は野手をマウンドに集める。「このとき、江川は“思いっきり投げたい”と相談。これにチームメイトは“ここまで来れたのは、おまえのおかげだから、任せる”と、江川の背中を押したといいます」(前同)

 そして江川が全力投球した運命の一球は、すっぽ抜けてボールに。作新は押し出しでサヨナラ負けを喫した。のちに江川は、この試合についてこう語っている。「野球生活で最高の思い出となった一球。悔いはない。最後の球を投げる前に、みんなが激励してくれた。あのときほど、気持ちが一つになったことはなかった」

 高校3年間で、完全試合2回、ノーヒットノーラン9回という剛腕の最後の夏は、野球以上に大事なものを手に入れた時間だった。

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