■「ユー、これにならなきゃダメよ」

 僕はファンのみんなを「ファミリー」と呼んでいるのですが、ファミリーたちは僕のことをよく分かってくれていて、暖かく見守ってくれている。そんな人たちに支えられて生きているという感覚が強くあります。

 昨年亡くなったジャニーさんが、最も脂が乗り切っていた40代後半から50代にかけての頃、僕は一緒にステージを作っていました。だから、今も演出に関して、自分に“ジャニーさんイズム”が染みついているなと実感することがあります。ここで回れとか、ここで止まれとか、ここで衣装をキラキラさせろとか……間合いやリズムですね。「ジャニーさんならこう言うだろうな」と、ふと考えることがあるんです。今のジャニーズの現役メンバーのパフォーマンスを見ても、ジャニーさんイズムを感じますね。  

 ただ、不思議なもので、僕自身は誰かをプロデュースしたいという欲求はありません。よく、「作詞をしてみれば」なんて言われますが、詞を書くなんて、こっ恥ずかしくてとてもできない(笑)。やっぱり、餅は餅屋。それぞれスペシャリストにお任せして、僕は板の上に乗る立場。自分のことで手一杯なんですよ。

 15のときに、ジャニーさんがジャクソン5の映像を見せてくれたことがありました。そのとき、言われたのが「ユー、これにならなきゃダメよ」。それ以来、僕はずっとマイケル・ジャクソンを指針にしてやってきました。

 彼がギンギラのソックスをはけば自分もはいて、ボルサリーノの帽子をかぶれば自分もかぶって、ムーンウォークをすれば自分も取り入れて――。でも、そうしたマネごとも40年やっていれば、田原俊彦流に昇華された部分もあるんじゃないかと思っています。

 そういえば、親友のカズ(サッカーの三浦知良選手)なんか、マイケルがムーンウォークをやっている映像をどこかで観て、「マイケルがトシさんのマネしてましたよ!」だって。あっちが元祖だっていうのに。ハハハハハ!

『スリラー』より前の、クインシー・ジョーンズがプロデュースしている頃のマイケルというのは、すごくソウルなカッコいいアルバムを出しているんですよ。『金八先生』のロケのときに、僕が聴いていた当時のマイケルの曲が、そのままのドラマの中で使われたこともありました。

 80年に僕がデビューして、いろいろなところで、マイケル、マイケル言っていたのは、アルバム『スリラー』をリリースする前。日本ではまだ誰もが知る超メジャー存在ではなかったので、僕を通じてマイケルを知ったという人もいるみたいですね。そんな人にときどき会いますよ。

  1. 1
  2. 2
  3. 3