松田聖子の結婚会見でも! 須藤甚一郎「突撃伝説&素顔」の画像
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 芸能リポーターとして、90年代のワイドショーを盛り上げた須藤甚一郎さんが、8月11日、多機能不全のため亡くなった。81歳だった。芸能人から恐れられる突撃リポーターだったが、99年に目黒区議に当選すると、長らく区議としても活動。01年には参議院選挙で民主党比例代表候補に名乗りを上げるなど、後半生は芸能界を飛び出し、政治の世界に活躍の場を移した。

 そんな中においても、区議出馬前から続けていた本誌の辛口芸能コラム『偏見自在』には強い愛着があり、連載を継続。芸能界、マスコミに厳しくも愛情深い眼差しを向け続けた。芸能リポーターの城下尊之氏は、同業者としての須藤さんについてこう語る。「芸能人が最も聞かれたくないことをズバッと聞くのが須藤さん。それは同時に視聴者が一番知りたがっていることです。つまり人を楽しませようという思いが、伝説的な質問を生み、芸能ニュースを面白くさせた」

 特に有名なのは、81年、西武ライオンズ(当時)の田淵幸一氏との結婚を発表した女優のジャネット八田が妊娠説を否定する中、須藤氏が「お小水をください!」と迫った。妊娠の確認のため、尿を所望したとされる“お小水伝説”だ。だが、城下氏は、その真相をこう明かす。「正確には“お小水をくださいとは言えないから、ご自身の口からおっしゃってください”と言ったはずです。ご本人は“こっちは、ヘリクツ言って30年だ”なんておっしゃっていましたが、人の懐に一瞬で飛び込み、もう答えなくちゃダメだなと思わせる、強力な人間力がありました」

 芸能リポーターの川内天子氏が鮮明に覚えているのは、85年6月の松田聖子神田正輝の結婚式直後の記者会見での須藤氏の質問だ。「祝福ムードに笑顔が絶えない2人に、“聖子さん、生まれ変わっても、もちろん神田さんと一緒になりたい、そういうお気持ちでしょうね”と質問したんです」

 聖子はわずか半年前、郷ひろみとの破局会見を開き、「生まれ変わったとき、絶対、一緒になろうね、って約束したんです」という“名言”を残していた。「さすがの聖子も“はい”と答えるのが、やっとでした」(前同)

 須藤氏がリポーターとしてこだわったのは、取り繕ったきれいごとではなく、泥臭い人間らしさを伝えることだったのだ。〈まあ、因果な商売ですよ、芸能リポーターなんて、ハハ。水もよくひっかけられたし、足は踏んづけられるワでね。つい先日も、ハナ肇さんに20分間ぐらい説教された(笑)〉(週刊大衆89年5月8日号「須藤リポーターのあいつを殴る前に辞めた真相!」より)

 自嘲気味に語る言葉の裏には、取材相手への強い興味があった。『偏見自在』の担当編集者は、須藤氏の愛すべき素顔をこう語る。「とにかく“人間”を愛している人でした。須藤さんと飲むと商店街中の人が須藤さんに声をかけてくるんです。誰とも分け隔てなく、裏表もなく接するので、プライベートで須藤さんを嫌いな人はいませんでした」

 安らかにお眠りください。

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