「いつも最後と思っていた」阪神タイガース藤川球児「剛球伝説」と「男の決断」の画像
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「いつも最後だと思っていた。まったく悔いはない」 9月1日、阪神タイガースの藤川球児投手(40)が兵庫県西宮市のホテルで記者会見を行い、今季限りでの現役引退を表明した。

 高知商業時代、甲子園でも活躍した藤川は、1998年のドラフトで阪神から1位指名。抑えのトリオ「JFK」の一角として頭角を現し、打者の手元で浮き上がるように伸びる“火の玉ストレート”で相手打者を翻弄し続けた。その秘密は回転数にある。「通常の投手の回転数が1秒間に37回転であるのに対して、藤川のストレートは1秒間に45回転しているんです」(スポーツ紙記者)

 それだけではない。そのフォームも、投手として理想的なものだという。現役時代、藤川とチームメイトとして過ごし、2012年は阪神のコーチと選手という関係だった野球評論家の藪恵壹氏が証言する。「彼の投球フォームを連続写真で撮ってみると、お手本のような惚れ惚れするフォームで投げていました。肩の位置、骨の方向、どれを取っても、ピタピタとハマっている。若手投手の教材として、よく使わせてもらいましたよ」

 藤川は、13年からメジャーに移籍。シカゴ・カブス、テキサス・レンジャーズで3シーズンを過ごした。15年に帰国後は、四国アイランドリーグ・高知ファイティングドッグズに在籍したが、当時の金本知憲監督に呼び戻され、阪神復帰。16年には一時、先発に回ったが、再び救援投手として活躍してきた。「結局、体が限界に来たということでしょう。昨年春の時点で昨季限りでの引退を申し出たものの、慰留され4勝1敗、16セーブと活躍。ところが今季は2度も2軍落ちするなど、苦しんでいましたからね」(藪氏)

 大の虎党として知られるダンカンさんが言う。「本当に寂しいですけどね。藤川投手は、チームのためを思って引退を決めたんだと思います。現在はファームで調整中ですが、まだ投げようと思えば投げられるはず。ただ、かつての球威がなくなっていると自覚していた。もし、ペナント終盤の大事なときに起用されて、結果が出せなかったら、チームにマイナスだと考えたんでしょう」

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