■父、母、姉が一丸となって支えた過去
「羽生一家はこれまでも家族一丸となって息子を支えてきました。先にスケートを始めた4歳上の姉は、羽生がフィギュアスケートに専念できる環境を経済面で支えようと、自らの選手としてのキャリアを諦め、18歳の頃に競技を引退したとも言われています。
父親は地元、宮城県で教師をしています。昔から、早朝、深夜にかかわらずリンクまで息子を送り迎えするのは父親の役割で、厳しくも優しく息子を支えてきたようです。
母親は、食も細く、いまだに喘息の発作が出ることもある羽生をサポートするために、彼がカナダに拠点を移した際には、ともにカナダに移住をしています。また、羽生がシニアに転向するまでは、大会の衣装を手作りしていたのも母だったそうです。
羽生はそんな母のことを、“夜更かししてまで衣装を作ってくれる母親の愛情を感じながら滑っています”とインタビューで語ったこともありました」(前出のスポーツライター)
先の読めないコロナ禍でも、一番信頼できる人たちがそばにいれくれることで、羽生が安心して競技に専念できていることを願いたい。