■専門医から病気と言われて

 高知氏は保釈後、専門医に「薬物依存症です」と告げられたが、否定し続けた。だが、「あなたは捕まらなければクスリをやめられなかった事実がある。だから病気です」と言われ、やっと自分が「依存症」という病気だと理解できたという。現在、高知氏は『12ステッププログラム』という依存症回復プログラムに取り組んでいる。その「ステップ4」、自分の過去と向き合い、依存症の根源を突き止める作業に大いに苦しんだ。

「高知県で生まれた僕は祖母に育てられ、両親はいないと聞かされていました。それが小学5年生のとき、たまに遊びに来る気前のいい、キレイなおばちゃんが実の母親だと突然、告げられ、一緒に暮らすことになりました。母との生活は、変わったものでした。なぜか、いつも周りにお付きの若い衆がいて、母は“姉さん”、僕は“ぼん”と呼ばれる。そんなある日、若い衆にキャバレーに連れて行かれました。そこで母に、隣に座る背広姿の男性を“明日から、この人がお父さんだよ”と紹介されました。その人は中井啓一という、四国で有名な土佐の侠客で、母は、その愛人だったんです。映画かと思うくらい、もう、めちゃくちゃな話です(笑)」

 中井啓一氏は土佐の名門組織、中井組組長である一方、高知市議を務めるなど、地元の名士としても知られる人物だった。こうした複雑な家庭環境に置かれた高知少年の心には、常に「また、ここを捨てられたら、次はどんな所に移動させられるのか?」という、居場所がなくなる恐怖があったという。

「だから、大人の顔色を見て、とにかく、いい子でいようと……必死でした。母親のことは恨んでいましたね。一度、母に連れられて組事務所のような所を訪れたとき、敵対する組織に襲撃されたんです。その際、子どもの僕を守ろうとして、母は背中に大きな刀傷を負ってしまいます。でも、僕はずっと心の中で“そんなキケンな場所に、よく息子を連れて行くよな”と母を責めていた。“でも、子どもは親を変えられない。おふくろに産んでもらわなかったら、今の俺はいないし”と自分に言い聞かせ、本当の気持ちを心にしまい込んでいました」

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