沢田研二、萩原健一、堺正章…夢と熱狂のグループサウンズ「感動秘話」と「現在」の画像
写真はイメージです

 60年代の後半に大旋風を起こした 一大ムーブメント。その主役たちの胸が熱くなるエピソードを大公開!

 8月に元『ザ・タイガース』の岸部四郎氏(享年71)が死去。9月には『ザ・ゴールデン・カップス』のマモル・マヌー氏(享年71)、ルイズルイス加部氏(享年71)も相次いで他界した。ここでは、彼らの冥福を祈りつつ、約半世紀前に熱いブームを呼んだグループサウンズ(以下・GS)にまつわる衝撃秘話、泣ける逸話を一挙紹介したい(以下、文中一部敬称略)。

 GSが生んだ最大のスターは、“ジュリー”沢田研二(72)だろう。彼にとって、タイガースのメンバーは、かけがえのない存在だった。解散から10年後の1981年に、GSの聖地・日劇の取り壊し前のさよならイベントとして『日劇ウエスタン・カーニバル』が復活開催された。このとき、多くのグループが再結成し、タイガースも久々に結集。翌年には、“ザ・タイガース同窓会”として活動を展開。新曲『色つきの女でいてくれよ』がヒットした。

「この曲でジュリーはサブに徹し、メインヴォーカルを加橋かつみ(72)に譲っています。ジュリーはワガママが言える立場ながら、高音の加橋と自身の声が重なる、タイガース特有のハーモニーを重んじたんです」(音楽関係者)

 だが、この“同窓会”に不参加の人物がいた。

「ドラムの瞳みのる(74)です。芸能界を離れ、やがて高校教師になった瞳は、メンバーとの関わりを絶っていました」(前同)

 しかし、仲間たちは瞳との再会を願っていた。97年頃には、岸部一徳(73=以前は岸部修三)、森本太郎(73)、ジュリーのユニットで、『Long Good-bye』という瞳に捧げる楽曲を作っている。

「その後、2008年にNHKの番組で、ジュリーが同曲を披露。その思いが瞳に届き、38年ぶりに元メンバーと対面が実現するんです」(同)

 そして、13年にタイガースは、沢田、加橋、岸部一徳、森本、瞳というオリジナルメンバーで再結成、全国ツアーを実施した。

「最後の東京ドーム公演には、闘病中だった岸部四郎さん(以前はシロー)がゲストとして車椅子で登場。メンバーに囲まれてビートルズの『イエスタデイ』を歌った。あれは感動的でした」(芸能リポーターの石川敏男氏)

 岸部四郎は、69年に脱退した加橋の後任だったため活動期間は重複せず、ドーム公演が初めて歴代メンバー6人がステージ上で勢ぞろいした瞬間となった。

「加入当時、楽器演奏ができなかった四郎はタンバリンを担当。それも上手ではなく、タンバリンに音が出ない細工がしてあったとか(笑)」(前出の関係者)

 だが、関西訛りのとぼけた味わいのトークで独特のポジションを築いた。

「その時代があったから、後にワイドショーの司会者を長年、務めることになったんでしょう」(石川氏)

 タイガースを愛したジュリーは、他のGS時代の人間関係も大切にした。

「長らく『ザ・ワイルドワンズ』の加瀬邦彦さん(享年74)にプロデュースを任せ、元『ザ・スパイダース』の井上堯之さん(享年77)、大野克夫さん(81)らによる『井上堯之バンド』をバックバンドにしていた。一連のヒット曲は、彼らとの共同作品なんです」(元レコード会社社員)

 加瀬との縁は続き、10年には、『ジュリー with ザ・ワイルドワンズ』として活動している。

  1. 1
  2. 2
  3. 3
  4. 4