乃木坂46「個人PVという実験場」
第10回 特異な個性を持つドラマ型作品を担ってきた頃安祐良 4/5
■「アイドル以前」の高山一実が分岐した2つのキャラクター
伊藤万理華の個人PV「20」(/articles/-/81407)で頃安祐良が行なったのは、フィクションドラマと「乃木坂46の伊藤万理華」の人格とを交錯させながら、虚実のあわいのなかに「アイドル」として生きることの複雑さ、重層性を浮かび上がらせることだった。
「20」では、伊藤が乃木坂46の一員として残してきた過去のマスターピースを下敷きにしながら、演者としての彼女に迫ってみせた。
頃安作品のうち、同じく「アイドル」としての乃木坂46メンバーに対峙するタイプの個人PVのなかには、よりストレートに演者自身のアイドルへの憧憬あるいは初期衝動を捉え、彼女たちが「アイドルになる」瞬間を描いたものもある。それらにもまた頃安特有の、フィクションとリアルの往還が見てとれる。
https://www.youtube.com/watch?v=slOegrksN9c
(※高山一実個人PV「誰がために」予告編)
13枚目シングル『今、話したい誰かがいる』収録の高山一実個人PV「誰がために」は、アイドルを目指す人気者の少女と、彼女を写真に収めながら傍で見守るもうひとりの少女を、高山が一人二役で演じるドラマの体裁をとる。
もっとも、ここでひとまずは別々の少女として表現される二者は、一人の人物から分岐したものであることがうかがえる。より具体的には、いずれも「アイドル以前」の頃の高山からインスパイアされて生まれた、表裏のキャラクターである。
表に立つ側のキャラクターが明るくアイドルを目指すときには、もう一方は控えめにカメラを相手に向け、表の人格が挫折を経験するときには、もう一方の人格の意思が強く現れて背中を押す。
そして、やがてそれが一人の人物(≒高山一実)へと収斂してゆく。憧憬と挫折とを行き来しながら「アイドル」に手を伸ばそうとする姿を、人格の分岐を通じて描く同作もまた、「20」とはいくぶん異なる形で虚実のあわいを表現した個人PVである。