もっとも、この作品の勘所は齋藤が主演する架空の作品群それのみではない。テレビの深夜帯に見かけるカラーバーに始まり、あたかもザッピングしながら各チャンネルを断片的に見ていくような構成は、我々の生活の中にごく自然に存在するメディア視聴体験そのものの上演といえる。齋藤がさまざまなコンテンツに遍在し複数の役をパフォーマンスすること自体の面白みの背後にあるのは、視聴者自身が日々、惰性で行なっているような習慣を指し示すような企てである。

 一方で、個人PVにとって重要な役割の一つは、メンバーに演技者としての機会を設けることだが、作中に登場する架空作品それぞれに用意された細かな趣向によって、齋藤は短時間でさまざまな役柄を演じることになる。

 今際のきわの一言をしつこく繰り返してみせるコメディ的な展開や、同一のカットと人物配置のまま少しずつシチュエーションを変えて撮り直すさまを連続して見せるなど、どこかで実際にありえそうな架空のCM設定は、演者の微細な揺れを映すものとしても興味深い。また、目の前に現れたスイッチにおもむろに手をかけると不測の事態が生じるストーリーのCM映像では、彼女独特の飄々とした空気感をすでに看取することができる。

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