■桜庭戦で見えたホイスの焦り

 平成時代の格闘技界を席巻したのが、PRIDEに代表される総合格闘技だ。2000年5月1日、東京ドームで実現した桜庭和志vsホイス・グレイシーの分に及ぶ死闘は語り草だ。当時、現場で取材したスポーツライターの布施鋼治氏は、「あの一戦で桜庭は格闘技界のスーパースターとなり、総合格闘技ブームが沸き起こった」と振り返る(以下、発言は布施氏)。

「その6年前にホイスの兄・ヒクソンが日本に初登場して以来、グレイシーは日本にとって目の上のタンコブのような存在でした」

 中でも、最も“被害”を被ったのは、それまで最強をウリにしてきたプロレスラーだった。腕に覚えのあるレスラーが何人もリングに上がったが、多くが返り討ちに。そんな中、総合の強豪たちを次々と破り、一躍、プロレス界の救世主に躍り出たのが桜庭。そのハイライトというべき一戦が、ホイス戦だった。

「勝負は15分無制限ラウンド、レフェリーやドクターのストップはなしという特別ルールが採用されました。時間がたつにつれ、ホイスは焦りからなのか、セコンドのほうを向く回数が増えてきた。兄のホリオンがタオルを投入したときの会場の盛り上がりようは、ハンパでなかったですね」

「グレイシーハンター」の名が、格闘技の歴史に刻まれた瞬間だった。

  1. 1
  2. 2
  3. 3
  4. 4