■談志師匠から一番影響を受けたものは?

――そんな志の輔さんは、談志師匠からさまざまな影響を受けている。その中でも一番と言えるものは何なのだろう?

立川 師匠が色紙に書く言葉で最も多かったのが、「人生成り行き」。俺たち弟子に対しても、「人生なんて成るようにしかならねえよ。まあ、なんかうまくやれ、弟子ども」とか、よく言ってたし。でもね、横でカバン持ちをしてると、師匠自身はちっとも成り行きじゃなかった。性格的に細かくて細かくて……。しょっちゅうメモを取るんだけど、そのメモの文字も細かくて小さいもんだから、自分で何を書いたのか分からない。「おい、これは何て書いてあるんだ?」って聞かれるんだけど、さすがに師匠が読めないものを、俺が読めるわけないよね(笑)。

渡辺 わははは。

立川 ああしたら、こうなる、こうしたら、ああなる……ずっと考えている。たとえば、今日はあいつと待ち合わせだ。じゃあ、俺が先に行って待ってたほうがいいのか、それとも、あいつのほうが先か……。そんなふうに、毎日、嫌というほど、緻密に物事を考えながら生きてた人だったね。

渡辺 はあ〜。

立川 人生、成り行きどころか、人生をデッサンしてたから、自分の人生に必要だと思えば、国会議員にもなる。落語の稽古だって、見えないところでしっかりと積み重ねて、絶対に手を抜かなかった。それでいて、高座では、「成るようにしかならねえよ」というような顔をしながら披露する。そのギャップがすごかったし、怖ろしかった。そして、それが、いかに大事なことかを教えてくれた。だからこそ、師匠への尊敬がずっと続いたんだよね。

渡辺 やっぱり談志師匠の下にいたから、志の輔さんの今があるんですね。

立川 もちろん。談志が師匠じゃなかったら、俺は、こんなふうな落語家になってなかったよ。なにしろ、28歳で入門した半年後に、師匠が落語協会を脱退するという事件があって、寄席に出られなくなったわけだから。そのとき、師匠が言ってくれたんだよ。「寄席を経験できなくても、俺が一人で、お前を育てれば、それでいいんだろ? だから、ここにいろ」って。

渡辺 そうだったんですか……。

立川 「落語をやる場所なんて、自分で探してこいよ。どうしても客がいなかったら、宗教に入るとか、いろいろあるだろ?」ってね(笑)。

渡辺 あははは。

立川 だから、自分で場所探しや客集めをやらないといけなくなってね。そこからだよ、寄席に出てる他の落語家さんたちとは違う、劇場型の落語家生活を送るようになったのは。

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