マグニチュード7.3。またたく間に6434人もの命を奪った、「阪神・淡路大震災」から、26年の時がたちました。地震が起きたのは、午前5時46分、あの日は3日間競馬の翌日で、騎手クラブ東西対抗サッカー大会が組まれていた東京に向かうため、京都の自宅で目が覚めた、ちょうど、そのときです。あの日の光景を言葉にするのは難しいのですが、あえて表現するとしたら、グニャッというのが、一番近いかもしれません。目に飛び込んでくる景色すべてが歪んでいました。でも、まさか、あのときは、あれ以上の揺れが神戸を襲っているとは想像もできませんでした。被災され、命を落とされた皆さまには、改めて、ご冥福をお祈り申し上げます。

 競馬も無事ではありませんでした。阪神競馬場は、駐車場と歩道橋が崩壊、馬場も3コーナーから4コーナーの下にある地下道が20センチほど隆起、埋没するなどして開催休止に。同競馬場が再開されたのは12月2日でした。神戸の街は見事に復興しましたが、心に負った傷は今も多くの方の胸に残っています。

 26年目となった今年は中京競馬場で、そのときを迎えましたが、だからこそ、両手を合わせ、祈る気持ちに変わりはありません。いや、コロナ禍という苦しみが増している分だけ、祈る思いは強くなったような気がします。

 今週は、しんみりとした書き出しになってしまいましたが、競馬も武豊も、変わらず元気いっぱいです。こんなときだからこそ、コロナ禍になんか、負けてはいられません。

 寒さが本格化して骨から震えそうな1月最終週、予定している重賞競走は、31日、日曜日に東京競馬場で行われるダート1400メートルのG3根岸Sです。初めて参戦したのは、デビュー9年目……「阪神・淡路大震災」が起こった、1995年の11月です。パートナーは前年、岡部幸雄騎手とのコンビで、このレースを勝っているフジノマッケンオー。この年は、ハートレイクとのコンビで安田記念、ダンスパートナーとともにオークスを制覇。7月23日にはJRA通算1000勝を達成。体力的、精神的にもノリに乗っている時期でした。

 ですが、結果は惨敗(8着)。しかも、そこから挑戦すること、11度。10年のサマーウインド、15年のワイドバッハの2着が最高で、まだ一度も勝ったことがない重賞レースの一つです。

 12度目となる今年、僕のパートナーを務めてくれるのは、長谷川浩厩舎のヤマニンアンプリメ。一昨年11月に行われたJBCレディスクラシック(Jpn1)を、ともに勝った牝馬です。年が明け、今年7歳となった彼女が、どんな走りを見せてくれるのか。ファンの皆さんと同様、僕自身も楽しみです。もう、7歳馬。まだ、7歳馬――寒風を切り裂いて走る彼女を応援してください。

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